2位死守
館山投手は完投で9勝目。死四球なしのテンポよいピッチングに打線も応えて快勝でした。
中 日 000 101 000 2
ヤクルト200 024 00X 8


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館山投手は完投で9勝目。死四球なしのテンポよいピッチングに打線も応えて快勝でした。
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最近、勉強法や学習法についての本を読みますが、そこで重要だと言われていることの多くは、学び方の手順やスキルというよりも、「素直さ」や「謙虚さ」といった心構えではないかと感じています。明大の齋藤孝先生の下記の言葉でかなり確信しました。
勉強するということの基本は、人の言うことを聴くことである。 耳を傾けて我慢して聴くという心の構えが求められる。 「おれが、おれが」という自己中心的・独善的な態度を一度捨てる必要がある。 「自分に理解できないことは全部価値がない」という、自分の好きか嫌いかが世界をすべて決めるという態度では何も学べないのだ。本を読むということも、同じく聴く構えを要求される。
著者に対して100パーセント同意するのではないまでも、耳を傾け虚心坦懐に、つまり心をすっきりさせて、読むわけだ。
もちろん反発もあるかもしれないが、まずは相手の言っていることを受け入れてみようという、「積極的に受動的な構え」を、勉強・読書を通じてつくり上げる。これが学ぶ構えの基本なのだ。「教育力」(齋藤孝/岩波親書)P37より引用
そして先日、娘が図書館で借りてきた「大きな大きなおだんごおなべ」という本。
そこには、とにかく「おはなしをするのがすきな人」がたくさん出てきます。彼らは、だれかにお話を聞いてもらいたくてうずうずしています。かくいう主人公も、話をきいてほしいと思っている一人なのですが、話好きの人たちばかりで大変な目にあってしまいます。
大きな大きなおだんごおなべ
脳のしくみに理に適った学び方(テクニック)というのは、それはそれで知っておいたほうがよいし、最新の脳科学研究の成果をありがたく享受すべきだと思います。しかし、勉強にとって一番大切なことは、多様な知見を受容できる「素直さ」や、粘り強くやり続ける「忍耐力」といった、昔から美徳とされていた態度や心構えではないかと強く思うようになりました。
なぜ、他人の話に耳を傾け、じっと我慢して聴くことができないのか。
子どもたちのことを言うまえに、実は、合理的でないことや非効率だと思われることに対し、先回りしてムダを排除してしまっているのは、親の方ではないのか。
なんでも手に入る時代に、我慢を率先しなければならないのは自分たちであり、今こそ「どっしり構えて、ゆったり待つ」という親の”ゆとり”が大切なのではないかと反省した次第。
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6/30のNHKテレビ「プロフェショナル 仕事の流儀」は、燃料電池車の開発物語であった。新幹線のような加速性能をもち、水を排出しながら走る夢のようなクルマである。
ホンダで燃料電池者の開発責任者をしている藤本さんは、世界初、世界一をめざすプロジェクトにおいてリーダーが果たす役割は、メンバーに夢を語り、メンバーとビジョンを共有することだと言っていた。リーダーシップの教科書にはよく書いてあることだが、本で読むのとは一味違う臨場感がある。
そして「思い」は意地でも形にするということ。CO2の排出ゼロ、水素をエネルギーにして発電しながら走るクルマをつくるのはあたりまえであって、そこにクルマ本来がもつ運転する楽しさも実現しなければ意味がないという高い志に感銘を受けた。
藤本さんたちがつくった燃料電池車のことを、ドイツ人技術者が「空飛ぶじゅうたんのようだ」と評していた。技術者冥利に尽きる瞬間だったであろう。
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雨の中、横須賀線沿線にはカメラを構えた鉄道ファンが陣取っていました。
珍しい電車が通るのだろうなと思って少し待っていると、レトロな電気機関車と客車が通貨。逆方向からはイルカのマークのついた旧特急車両も。


おまけ

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全身全霊をかけて勉強に集中する状態。
あたかも「鶴の恩返し」の鶴みたいだというので、こんなへんてこな勉強法を命名した茂木さん。でも、このへんてこさが逆に記憶に残りました。
あかあかと灯っている白熱電球のもとで、全身全霊をかけて反物を織り上げている鶴というイメージです。まさにフロー理論でいうところのフローな状態です。
この集中力は、「速さ」、「分量」、「没入感」という3つの要素から生まれるのだと茂木さんはいいます。つまり、世の中のものを全部遮断して、タイムプレッシャー(時間制限)をかけながら、できるだけ多くの分量をこなすということです。
さしずめ、鶴の恩返し学習法とは、茂木流フローな状態にもっていくためのテクニックという言い方もできるかもしれませんね。フローな状態になれば、あとは身体が勝手に働いてくれて、最高のパフォーマンスを発揮してくれるというわけです。
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6月21日(日)は平塚でJ2の湘南ベルマーレvsコンサドーレ札幌を観戦。
開始後まもなく、ベルマーレの先制シュートが鮮やかに決まり、歓声に包まれる平塚競技場。しかしその後は終始押され気味の展開だった気がする。
後半には2点をとられ逆転されてしまった。ベルマーレを応援しに来てこれまで勝った試しがなかったので、今日もやはりダメかと思った矢先、残り5分で何と立て続けに2ゴールが決まり、みごと3-2で大逆転勝利!!
最近の東京ヤクルトスワローズもそうだが、首位争いに絡むチームがもつ底力というのはこういうものだろうか。
野球もサッカーも、やはり勝てば気持ちのいいものである。
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放送大学のラジオ講座を試聴した。ラジオの音声だけ(印刷教材なし)で聴いた内容をまとめるのは結構しんどい。脳ミソがフル回転している感じである。
ラジオからICレコーダーにつないでMP3で録音し、パソコンで再生。Windows Media Playerの倍速再生機能で聴くと冗長さがなくなることは新たな発見。個人的には1.9倍速くらいまでOKであった。
ときどき「印刷教材にはない例をあげて説明します」などと、わざわざ断りを入れて話をしていたが、テキストだけを読んで済ませようとする学生を牽制しているのだろうか。この授業では先生が単調に読み上げるのではなく、ゲストの女学生に質問させたり、テキスト(「印刷教材」と呼んでいておかしかったが)の引用箇所を読ませるなど、視聴者を飽きさせない工夫をしようという意志が感じられ好感をもった。
もしかしたら意外に効果のあがる学びのスタイルかもしれない・・・と思ったりして。
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2009/6/13
生涯学習と自己実現('06)
第10回 「生涯学習における学習者像と学習支援」
成人教育では、これまでとは異なる教育のあり方を問題提起をしている。教える大人と教わる子どもという図式ではない。成人教育の論点は次の4つである。
1.自己決定性の再検討
社会人は必ずしも自己決定的に学ぶ人だけではない。系統的に知識を学ぶことを希望する人もいる。知識伝達型の教育を否定してはいない。ただし、そのようなペタゴジー型の学習から出発して、徐々にアンドラゴジー型の学習へ展開していくことは必要である。
自己決定的な学習は、個人だけでできるというよりは、集団のやりとりの中で身につけていくものだ。したがって、多様で異なる集団の意見をまとめていくプロセスのなかで「学び方を学ぶこと」が、自己決定型の学習の到達目標であるという見方もできる。
2.剛構造としての経験
成人ならではの豊富な経験が、マイナスに働く場合もある。成人学習者の自己アイデンティティは、その人の経験そのものである。放送大学の受講生の中には、自分の経験だけからしかテキストを読めない人もいる。そうなると学問の論理構造そのものを受けつけにくい。
3学習ニーズの多様性
成人の学習ニーズは、各人ごとに多様であり個別的である。フールによれば、成人学習者のタイプを目標志向、活動志向、学習志向の3つに分類している。
4意識変容の学習
こだわりを捨て、他の考え方を受け容れ、視野を広げていくことである。
意識変容を支援する立場の留意点として「意識変容すべきだ」という教え方はしない方がいい。経験の否定は人格の否定につながる。社会人向けの教育は、教化ではなく視野を広げるようなアドバイスであり、本人がハッと気づくようなきっかけを示す授業が望まれる。
また、変容は性急に求めないこと。たとえ変容がみられなくても学習成果がないとは考えない。結果的に変わらなくても意識変容の学習は起きている。本人は新しい価値観に気づき、理解したうえで、比較検討のうえ選びとっている。変えるのではなく、あくまでも視野を広げるというスタンスが求められる。
結論
生涯学習の出発点は、成人学習者の一人ひとりの経験を大事にすることにある。経験を問い直すことによって、自分の経験を振り返ってみるということに成人教育の意義がある。
放送では参考書籍として以下2つを紹介していた。
成人教育の現代的実践―ベダゴジーからアンドラゴジーへ
Malcom S. Knowles 堀 薫夫 三輪 建二
おとなの学びを拓く―自己決定と意識変容をめざして
入江 直子 豊田 千代子 三輪 建二
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「本というのは精神科の患者さんの言い分だ」というのは、例えとしてあまりにも過激ではないか。精神科の患者さんに欠けているところを診るように、その本の欠けているところは何か、その人の見方で見えていないものは何か、と絶えず考えながらその本を読むのが、「養老流」本の読み方の一つだそうだ。
その根底にあるのは、やはり「人間は本来、お互いに通じないものである」という養老先生の人間観である。人が何を考えているかなんてわかるわけがない。だからこそ、相手がどうやってものを見ているか、それを素直に受けとめるようになった。その結果、その人の見方で見えないものは、いったい何だと考えるようになったのだという。
なるほど、「読書とはコミュニケーションである」とは至極名言ではないか。
苅谷剛彦先生の知的複眼思考法を思い出します。
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まだ5分咲きくらいでしょうか。由比ガ浜が眺望できるあじさいの名所です。
撮影/6月9日朝6時半頃


長谷の力餅家のまえにもアジサイが咲いていました。

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