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【ローマ人の物語2】アテネの模倣ではなく

p21 衰退期に入った国を訪れ、そこに示される欠陥を反面教師とするのは、誰にでもできることである。だが、絶頂期にある国を視察して、その国のまねをしないのは、常人の技ではない。

王政から共和政への移行にあたって、お手本をみつけに当時絶頂期にあったアテネとスパルタを視察したローマ人3人組。だが結論としてアテネのまねもスパルタのまねもしなかった。自由と秩序を両立させていたのは傑出した一人のリーダー(ペリクレス)の資質であることを見抜き、そこにシステムとしての弱点をみたのではないかと推察される。では3人組が帰国後、スパルタ式(秩序重視)でもなくアテネ式(自由重視)でもない、いいとこどりの新たな政体が生まれたのかといえばそうではない。(1)農牧民族であるローマ人の保守的な性向、(2)パワーをもったローマ貴族の存在、(3)寡頭政(少数指導政)で善しとする平民の存在、という3つの要因によって、貴族対平民の内紛が、ケルト族来襲まで続くのである。当初のローマ共和政とは、「王」を「2人の執政官」に代えただけのものであった。

p74 ローマ人というのは、表面の現象だけ見る人からは模倣の民と軽蔑されるくらいに、他民族から学ぶことが多かった民族であった。

アテネの視察を描いた前半ページの部分で、「模倣しなかったということも、立派に影響を受けたことになるのではないか」という塩野氏のローマ人に対する見方が伏線になっているようです。

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