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【ローマ人の物語2】なぜローマは興隆したのか?

文庫版「ローマは一日にして成らず(上・下巻)」では、紀元前753年にロムロスによって建国されて以来、王政から共和政に移行し、いくつかの戦いを経てイタリア半島を統一するまでの500年間が描かれています。

p115 ローマ人には、敗北からは必ず何かを学び、それをもとに既成の概念にとらわれないやり方によって自分自身を改良し、そのことによって再び起ちあがる性向があった。

そのきっかけとなったのがケルト族の来襲。それまで貴族派と平民派に二分していた内政のもろさが露呈した結果であったがゆえに、破壊されたローマの再建は、ハード面の整備と並行してソフト面、すなわち政治システムの改革に至る。ローマ史上画期的とされるリキニウス法」は、選挙で選ばれる役職を貴族と平民でに階級別に差別することなく全面開放したのであった。さらに、要職経験者であれば退任後に元老院議員になれる権利(元老院の開放)を与えたこととあわせて寡頭政体による統治システムを確立。ローマにおける少数の船頭は血を問われることなく、常に新しい血が導入されるという「抱き込み方式」が有効に機能し続けることになる。この方式は、内政ばかりではなく外交政策にも取り入れられることになる。幾度の戦争に勝利したローマは、敗れた国を隷属化するのではなく、完全なローマ市民権を与えて共同経営者にする形で、ローマ連合をイタリア半島に拡大していった。

p208 知力ではギリシア人に劣り、体力ではケルト(ガリア)やゲルマン人に劣り、技術力ではエルトリア人に劣り、経済力ではカルタゴ人に劣っていたローマ人が、これらの民族に優れていた点は、何よりもまず、彼らのもっていた開放的な性向にあったのではないだろうか。

人間を律するより人間を守護する"宗教"、いいとこどりをした"政治システム"、他民族の敗者さえも"同化"する生き方、をローマ興隆の理由として挙げた3人のギリシア人の史観を引用しながら、その共通点を「開放性」というキーワードで括るところはさすが!。オープンであることが結果的に優位をもたらすという考え方には、今日でも活かせる本質的なヒントがつまっている気がします。

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