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2005年1月

海辺のカゲカ

日曜日に自転車で走っていたらおもしろい写真がとれたので、ちょっと遊んでみました。海浜公園の散歩道のようにも見えますが、実は坂道を下っているところです。首を左にちょうど90度傾けて見てください。よくみると右上のカゲは「ありえねー」と気づくはず。
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産業文化力がおもしろい

年明けから日経新聞で連載している「ゼミナール:産業文化力が拓く」シリーズが示唆に富んでいて面白いです。情報社会がどのような形で時代を切り拓くエンジンになりうるのかを考察しており、すでに第18回になっています。
世界の若者から日本はカッコイイと思われている。そんな風に持ち上げられると少し意外な感じもしてしまうのですが「それが現実」のようです。そういえば、「コンテンツビジネスを国家戦略の柱に」を合言葉に、2004年5月にはコンテンツ促進法が成立しました。そんなカッコイイ日本がめざすコンテンツ産業は、ポップカルチャーにけん引されているというところから話が始まっています。
マンガやアニメなど、長い期間培われてきた日本における大衆の審美眼と表現力が、デジタル技術によって発揮されはじめたというのが、シリーズの論調の一つだと思います。デジタル化の一番の影響力は、プロとアマの垣根をなくし一億総クリエイターを可能にしたことです。アナログ時代の特徴が、少数のプロがコンテンツを生産し大衆が消費するというハリウッドモデルであるのに対し、デジタル時代の特徴は、個人の参加、共有、交換によってコンテンツを共同生産するピア・ツー・ピアモデルだといっています。たしかに、個人プロデュースによるインディーズ作品の台頭、Blgの流行、電車男などの状況をピックアップしてけば一目瞭然ですね。
ポップカルチャーは「ソフトパワー」としても注目されているようです。軍事力や経済力を源とするのがハードパワーならば、それとともに国際政治や外交面でも日本ファンを増やす最強の手段だからこそ、国策として取り組むべき課題だといっています。最近の関心事として、軍事力だけでなく戦いの敗者すら同化し、ローマシンパをつくるという国家戦略をとったがゆえのローマの繁栄と重なり、個人的にはとても共感できました。
ポップカルチャーの代表であるマンガについて、北米版の少年ジャンプが「右とじ」で発行されているのだそうですね。知りませんでした。有史以来、横文字を左から右へ「左とじ」の本でのみ読んできた欧米において、文化革命といっても過言ではないとする言及にいたっては、胸のすく思いです。
こんな感じで、「ポップカルチャー」論ついて検討が延々と重ねられてきましたが、最近いよいよ本題に迫りつつあります。いま最も勢いのあるポップカルチャーの産業群に注目することで、その本質を探り、そのメカニズムを解明しようというところに来ています。たとえば、日本発のポップカルチャーが、グローバルな世界市場に対して各国の文化にまで影響を与えながら、普及・浸透していくプロセスについて次のような指摘があります。

1.社会的ビジョン
ハローキティの例が挙げられています。サンリオ社長の辻信太郎氏による「小さな贈答品によって人間関係が築かれる」という社会的コミュニケーションのビジョンをもっていた点に注目しています。ブランドの普及を考えるうえで、このような発想が問われるとしてます。ある意味で、眼からウロコが落ちました。

2.商品の連結
90年代の「クール・ブリタニア(格好いい英国)」現象との違いについて、日本の場合は、マンガやアニメ、ゲームが融合(メディア融合)し、キャラクターなどの素材を融通しあう相互依存関係の強い産業を形成している点が指摘されています。たしかに子どもをみていると、カードゲーム、お菓子、ゲームソフト、テレビ番組、マンガ、衣服、など自分のお気に入りのキャラクターが実に多様な商品として提供されている実態がありますね。

3.オタクの存在
ここでのオタクとは、引きこもって活動する社交性のない人たちというイメージではなく、「粋の眼」「匠(たくみ)の眼」「通の眼」を兼ね備えた人々という意味で捉えられています。彼らは、異なる分野の橋渡しをしたり、細部の解釈をする媒介者となって、文化の普及・伝播・結合を果たす役割を担っているのが実態だといいます。(IT業界でいう「エバンジェリス」などと呼ばれている人たちのようですね。)そして、国境を越えて普及・伝播する彼らの表現のエッセンスが、文章ではなく「図像」であるという点は、まさに本質をついているなあと感じます。言語を超えたマンガでありフィギアでありデザインであるのでしょう。

おそらく、このあとも鋭い切り込みがあるものと楽しみであり、シリーズ最終回まで目の離せない企画です。

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わしづかみ

東北楽天ゴールデンイーグルスのマスコットキャラクターの愛称が決まったそうです。男の子は「クラッチ」、女の子は「クラッチーナ」だとか。「わしづかみ」を意味するクラッチ(clutch)に由来しているんだそうです。
へえ~そうなんだと思いつつ、「わしづかみ」を英辞郎 on the Webで逆引きしたら、grabという単語がでてきました。「ひったくる、横取りする」といった意味のようですが、田尾さんのクリーンなイメージの一方で、時には「そつのない野球」、「ずるがしこい野球」でパ・リーグを盛り上げてもらえるといいかもしれません。
まあ、キャラクター名としてはグラッブ君というと、いかにも悪そうなので、クラッチ君の方が断然いいですけど。。。

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「予知」と「占い」

当ブログへのアクセス状況をみていたら「危険予知」という検索キーワードが目立っていました。MSNやYahooの検索エンジンで、以前アップした記事がヒットしているようです。地震が起きたり、津波に襲われたり、このところ大きな自然災害が相次ぎました。阪神大震災から10年であること、六本木ヒルズの回転ドア死亡事故の件もあって、人災を含めたさまざまなリスクから身を守ることへの関心が高まっているのかもしれません。

ところで、「○○予知」といったとき、○○には「地震」、「災害」、「事故」、「犯罪」・・・等々、できるならば避けたいと思うものが入りますよね。そんなことから、予知とはこれまでに得られた経験や知識、情報から、将来の望ましくない事態を避けるために行われる「守り」の印象があります。予知そのものよりも、予知後の対策や準備に重きが置かれるのが一般的かと思います。
一方、似て非なるものとして「占い」があると思います。占いについては、「避けたい、守りたい」というよりは「納得したい、知りたい」という動機で行われる「攻め」のイメージがあります。そして、それが人生を変える、あるいは運命を変えるキッカケになるかどうかは、それを信じるあなた次第というわけですが、そこでは、占いの結果そのものに重きが置かれるといえそうです。専門家の方からみたら語弊になってしまうかもしれませんが、

占いはあくまでも啓示であって、それを信じるか信じないかは当事者次第である。進むべき道に迷っていたり、自分では凡そ結論を決めているけれどもアドバイスが欲しかったりするときに、人は占師さんに頼るのであって、占いとはカウンセリングのようなものだ。
「占い」というものについて、昔そんな考えを聞いて、なるほどなあと感心した記憶があります。ローマ人の物語を読んでいると、重要な意思決定場面において、よく「鳥占い」が登場します。(出陣前の恒例行事として、ローマ軍はにわとりの餌のついばみ方で吉凶を占ったそうです。)また、最近の大河ドラマ義経では、陰陽師の占いに頼る息子に対し、清盛が「性根を入れろ!」と一喝する場面があったのを思い出し、ふと、予知と占いの違いについて考えてみた次第です。

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【ローマ人の物語9】ガリア戦役

ポンペイウスの軍事力、クラッススの経済力、カエサルの民衆支持という三位一体による三頭政治は、国家ローマの防衛線の確立という公益のために動き出します。周辺の蛮族ガリア人、さらにはライン川を越えたゲルマン人からの侵攻を防衛するための戦いです。いかなるときも最前戦のモチベーションに配慮し、明快かつ首尾一貫した言動で軍隊を率いたカエサルであったからこそ、当時若者のあいだでは、「ガリア戦役」へ参加することが流行にもなったのでしょう。劣勢に立ち戦意を失いかけた軍隊への起死回生の演説、兵糧の確保と補給路をまず第一に考えた戦い方、キケロの弟を隊長に任命した絶妙な人選、傭兵がローマ軍のために戦死したときの同盟部族への思慮...etc、カエサルの行動からは、リーダーたるものの立ち振る舞い方について、多くのヒントを見つけることができます。

p74 「ガリアは、そのすべてをふくめて、三つに分かれる。第一は、ベルガエ人の住む地方、第二は、アクィターニア人の住む地方、第三は、彼らの呼び方ならばケルト、われわれの呼び名ならば、ガリア人が住む地方である」

簡潔、明晰、洗練されたエレガンス・・・と形容され、その文才を絶賛されるカエサルの「ガリア戦記」の書き出しだそうです。ガリア戦役が、カエサルの冷静かつ俯瞰的な状況分析にもとづいて起こされたものだったことが分かります。

p152 戦いを起こすこと自体は、カエサルにしてみれば罪ではなかった。しかし、いったん交わした誓約を破り攻めてきたことは、明らかに罪に値したのである。人間であることを放棄した者には、彼にしてみれば、奴隷がふさわしい運命だった。

多神教のローマ人にとって、絶対重視されたのが人間同士の誓約でした。ガリア戦役において、一旦降伏して講和したはずのガリア人の部族が、約束を反故にしてローマ人を襲ったとき、カエサルは情け容赦ない徹底的な報復を行いました。但し、カエサルの時代にあっても、戦争に敗れた相手を抹殺したり奴隷化するのではなく、人質をとったうえで講和を結び、同化させるという伝統的なローマのやり方は踏襲されていました。しかも人質は惨めな境遇であるどころか、有力者の家へのホームステイによって教育を受け、ローマ・シンパになって帰国させられるのでした。いわゆる"フルブライト留学制"です。

p192 文化は、各人のものであり、それをどう考えるかは各人の自由である。しかし、文明は、人種も肌の色も風俗習慣も異なる人間同士が共生するに必要なルールは、各人勝手で自由として済ませるわけにはいかない。ゆえに、平易に言えば、生きるマナーに過ぎないことなのに、文明という仰々しい文字を冠せられることになるのである。

ローマ人の生き方を象徴している部分だと感じます。ローマ人がギリシア人の知性やエルトリア人の技術を取り入れたように、異民族の文化を尊重し、自分たちより優れたものを積極的に導入することは自由である。しかしその一方で、価値観の異なる民族が共生するために必要なルール、すなわち生きるマナーについては、人間同士で取り交わした約束が絶対であり、法こそ人間の基本的な行動原則であるとしたローマ文明のことを指しているようです。カエサルのもつ一貫性の原点ともいえるでしょう。
以上 文庫版「ユリウス・カエサル ルビコン以前(中)」より。

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歯医者に通ってます

年末から歯医者に通っています。病院通い=マイナスのイメージがありますが、こと歯医者に関しては、メンテナンス・点検のためにも定期的に「通う方が良い」ようです。数年前にブリッジをかけて治療した奥歯が虫歯になってしまったのは、それを怠ったがための自業自得といえばそれまでなのですが、今日は痛くないだろうか?治療はいつまでかかるのだろうか?と考えるだけで、いつも暗澹たる気持ちになります。無念です。
初回診察で、虫歯を治療した後、ブリッジをつくり直すという方針を確認しました。そこで、「保険は効かないけれども、白色のセラミック製のものにすれば目立ちませんがどうしますか?」と訊かれました。なんと1本9万円なのだそうです。が、、、ブリッジの場合は×3になると知るや、今回も金属製のでお願いします!(+保険は適用されますよね?と念押し)と伝えていました。「いつでも替えられますから・・・」と気遣ってくださった先生の言葉が逆に切なかったです。
毎回、戦々恐々としながら通い続けている歯医者ですが、「それじゃ治療していきましょう」「まず様子をみてみましょう」という具合に、「一緒に治療していきましょう」という一貫したスタンスで語りかけてくれる先生には感謝しています。何しろ、今どういう治療をしているのか、次はどんなことをするのか、治療がうまくいっているのかどうなのか、自分では見ることができないので先生の言葉だけが頼りなのです。でも、治療スペースに中途半端に鏡なんかが置いてあったら、それはそれで恐ろしい体験をすることになるのかもしれません。なにはともあれ、キ~~ンという振動をともなった機械音には一生慣れることはないと思います。それだけは断言できます。いつ襲ってくるか知れない痛みに備えて体をこわばらせていると、毎回、もっと楽にしてくださいと言われてしまうので、いい大人が・・・と看護婦さんに半ば呆れられているのではないかと心配です。
他の疾病とは違って、歯科は通院するごとに治療の成果が目に見えて表れるという点において、すべて時間が解決してくれるのだ!ということが救いではあります。
ひとつだけ言い訳を。原因は不摂生だけでなく、とにかく虫歯にかかりやすい体質だということで、キシリトールガムを噛むことを勧められました。

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【ローマ人の物語9】三頭政治

昔、歴史の授業に出てきたはずの懐かしい響きをもつ「三頭政治」。元老院主導によるローマの共和政は、カエサル、ポンペイウス、クラッススという3者の密約による三頭政治によって、大きな転機を迎えようとしていました。
カエサルの凄いところは、ポンペイウスに加えてクラッススに声がけをしたバランス感覚です。ポンペイウスとの2者連合では、圧倒的にポンペイウスの方が強く、力がつり合わないと考えたカエサルは、あまりに借金が大きいがために力関係が逆転してしまった債権者クラッススを同盟に引き入れます。ポンペイウスとて、自らが制覇した東方の統治には経済界の代表であるクラッススの協力が不可欠という事情もありました。こうして、相互におもり関係にある3者の同盟関係をつくったのだといいます。
しかし塩野氏曰く、カエサルは一つのことを一つの目的でやる男ではありません。三頭政治も、単に目先の私益を追求したがための同盟ではありませんでした。その先には、元老院体制を崩すことによる、新しい統治システムの確立という野望があったのです。
その一つとして、グラックス兄弟以降の悲願であった農地法改革にも取り組みます。ホルテンシウス法を持ち出して市民集会決議を強行するのですが、このときの群集の心理をついた立ち回りが見事でした。元老院派の急先鋒である小カトーや論客キケロを退け、演説が必ずしも得意ではなかったポンペイウスを「のせ」て、フォロ・ロマーノの丘に集まった聴衆を大歓声に導きます。市民の熱狂的な支持を受け、流血なしで農地法は成立したのでした。カエサルの人心掌握術の真骨頂が描かれている場面です。
それにしても、自分の妻を寝取ったカエサルと同盟を結び、さらには親子ほどの歳の開きがあるカエサルの娘を妻に迎えたというポンペイウスも只者ではないと感じましたが、一事が万事、このようなやり方で周りの人たちを懐柔し、心酔させることで、地中海を制した凱旋将軍ポンペイウスでさえ丸め込んでしまったカエサルこそ、偉大な人物だったということでしょう。あたかもオセロゲームの駒が、カエサルによって一個ずつひっくり返されていくのを見ているようです。
以上 文庫版「ユリウス・カエサル ルビコン以前(中)」より。

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こんなところにまで・・・

puramark4月からゴミの分別収集がはじまるにあたり、環境事業局の人から説明を聞く機会がありました。買物時にゴミになるものを極力貰わないようにすることが、わたしたちにできる最も効果的なゴミ減量行動だと思いました。
また、リサイクルに関しては、家庭ゴミの中にあふれる「プラマーク」のついたプラスチック製容器包装を分別することが一番のポイントになると感じます。よくみると、納豆に付いているタレのパッケージや、コンビニ弁当のお箸の包装、家電製品に同梱される緩衝材の裏側にさえ表示されているプラマーク。法律によってメーカーに表示義務が課せられているとはいえ、ここまで徹底されているとは気がつきませんでした。大げさかもしれませんが、もはやリサイクルの成否は、われわれユーザーに委ねられているともいえましょう。便利で快適になった生活の代償として、分別は一市民として当然負うべき義務であるともいえそうです。

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遮那王

大河ドラマ義経の第3回をみました。牛若を仏門に入れるか西国に送るかを常盤に迫った清盛でしたが、実は平家の守護神を祭る厳島も西国にあったのですね。清盛はほんとうは西国に行く道を選んでほしかったのではと勘ぐってしまいました。それを承知していたからこそ、常盤が牛若に対し、鞍馬寺へ行って仏門に入るように告げたのではないでしょうか。牛若との別れ際、常盤が「これを母と思いなさい」と渡した自分とおそろいの笛が切ないです。父だと思い込んでいた清盛との竹とんぼの思い出をはじめ、運命に翻弄される少年の心を表現するための小道具の演出が光ります。
鞍馬寺では、師匠となる覚日坊律師(塩見三省)が、牛若に「遮那王(しゃなおう)」という呼び名を与えます。やがて、清盛をはじめ自分に優しかった平家こそ父の仇と知り、やりきれなさを胸に一思いに滝に飛び込んだ遮那王は、たくましい青年となって画面に現れます。滝に飛び込んだら滝沢君になったという場面、悶々とした遮那王の少年時代にうまく終止符を打ち、きれいに時代を進めたなと感心しました。
この時代の義経を取り上げたコミックもあるようでした。

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お囃子をみて

ohayashi昔ながらの米づくり最終回は、収穫したお米で餅つきをしました。今回のお米は天候に恵まれたこともあり大豊作で、汗水たらして自分たちの手でつくったお米の味は最高!つきたてのお餅は、それはそれは美味しかったです。
お餅をいただいた後は、昨年の春から米づくりの指導をしてくださった地元農家の方々が、300年近くも続いているという伝統芸能「祭り囃子」を披露してくださいました。笛、太鼓、鉦のピーヒャララ♪~コンチキチン♪という音にあわせて、獅子舞、おかめ、ひょっとこが調子よく踊っていました。滑稽というだけでなく、農耕生活の「つつましさ」や精神面での「おおらかさ」が伝わってきました。驚いたのは、演奏用のマニュアルや譜面などが一切なく、実物の動きや音をたよりに、見よう見まねで代々受け継がれてきたということ。市の無形民俗文化財に指定されているものの、技能を伝承していくことの難しさを吐露されていました。
個人的には、米づくりという気の長い作業を通じ、より一層お米や田んぼに対する愛着が深まりました。そして、あらためて日本人のルーツは農耕民族だったんだなあと思い知らされ、日本人に生まれたことを嬉しく思いました。いちいちつまらない事でイライラしたり、右往左往するのではなく、雨の日もあれば晴れの日もあるのだと、何事にも楽観的に寛容な心で取り組めたらなあと思います。貴重な体験をさせてもらいました。

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オンラインDVDレンタルに思う

DISCAS@niftyのキャンペーンのお知らせが届いて、一瞬心が動きました。前から気になっていたDVDレンタルサービスです。見たいDVDをネットで事前に予約しておけば、家まで届けてくれ、返却はポストに投函するだけという便利なサービスです。今なら2週間の無料体験ができるというのです。でも、ちょっと待てよ。。。
年末から正月にかけて録画した番組は多数あれど再生したのはごく少数。これが実態です。「日本人メジャーリーガーの群像」はイチローの回をまだ観ていませんし、前編+後編で2時間半になる「大化の改新」にいたっては全く再生してません。BSで録画しておいたデッドゾーンは、子どもと一緒に観ようとしたら吹き替えではなかったため、急きょ「鉄道員(ぽっぽや)」に代わりそれきりになっています。そのうち、あれほど観たいと思っていた気持ちが萎え、半ばいつか観れればいいやという気持ちになっているのも現状です。DVDレンタルサービスでは、観たいと思った気持ちと、実際に手元に届くまでのタイムラグが結構致命的になりそうな気がしました。要するに「観たい」と思った時が旬なのですね。
というわけで、わが家では今のところ、TVのドラマや映画はライブ(リアルタイム)で観る。DVDやビデオは観たいものを観たい時に借りるというのが一番!デジタルHDDレコーダーなんて要らないや!という結論になっております。(注:「負け惜しみ」含む)

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「ゆとり」大転換論

いずれこうなるとは思っていましたが、これほど早い時期に全面的な見直しの方針が出るとは、少し驚いています。つい最近、韓国の小学生が使っているというドリル教材を見せてもらったのですが、日本の小学生のそれと比べてみると、これじゃ学力に差がつくわけだと一目瞭然でした。親として危機感をもった矢先だったこともあり、身近に感じたニュースでした。

中山文部科学相は18日、子どもたちの学力低下問題について、「国語、数学などの主要教科の授業時間をいかに確保するかが課題だ」と述べ、授業時間を拡大したい意向を明らかにした。
そのうえで、体験重視の「総合的な学習の時間」を削減し、主要教科の授業に振り替えることも含めた見直しの必要性に言及した。文科相の地元・宮崎県で記者団に語った。 (1月19日読売新聞朝刊1面)
「ゆとり路線」から「学力重視」への大きな転換だといいますが、世の中では「学力重視」という言葉のもつイメージが誤解されている感じもします。学力重視が即、詰め込み式だとか知識偏重ということにはならないと思います。そもそも、ゆとりか学力かという二者択一で語ることが間違っている気もします。何のために学力が必要なのか?いい大学に進学し、いい会社に入るためだけではない筈です。試験に受かるための学力ではなく、社会で豊かに生きるための学力はどういうものなのか、そして、どうすれば身につけられるのか、親である自分たちも真剣に考えなければ。。。
いずれにせよ「読み」「書き」の力はすべての基本ではないでしょうか。そういう意味で、国語教育に力を入れたいという中山文部科学相の考えには賛同します。

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【ローマ人の物語8】カエサルにとってのカネと女

借金は身を滅ぼすと信じ、返済への強迫観念に苛まれた生真面目なカティリーナは、「借金全額帳消し」を公約して執政官に立候補しました。しかし、そんなことをされてはたまらない元老院の手回しによって阻止されます。不満分子はクーデターを企てますが、これは実行されることなく「カティリーナの陰謀」のまま終わります。やがて捕らえられたレントゥルス以下5人の決起代表者に対する裁判で、カエサルが熱弁をふるいます。小カトー、キケロらに反論され結局5人は死刑となってしまいましたが、文字を追うだけでも突き動かされるほど迫力のあるシーンでした。以下一部引用します。

p178 ・・・わたしは諸君に、歴史を思い起こされることを願う。多くの王も多くの民も、怒りか慈悲に駆られたあげく滅亡した。それよりもわたしが、喜びと誇りをもって思い起こすのは、われわれの祖先たちの所行である。われらが祖先は、感情に流されることなく、公正であるか否かによって諸事に対してきた。・・・

カエサルの諸言行やエピソードから、当時のローマ人を魅了した英雄像が浮かびあがってきます。なかでも、カネと女に対する常識外れともいえるスケールの大きさには圧倒されました。

p124 カエサルは、モテるために贈物をしたのではなく、喜んでもらいたいがために贈ったのではないか。女とは、モテたいがために贈物をする男と、喜んでもらいたい一念で贈物をする男のちがいを、敏感に察するものである。

やたらと女にモテたというカエサルですが、それでいて女たちの誰一人からも恨まれなかったといいます。その秘訣?ですが、借金をしてまでのプレゼント攻勢もそうですが、塩野氏は、愛人の存在を公然として振舞ったこと、誰とも決定的な縁切りをしなかったこと、そして妻であれ愛人であれ、女というものを決して傷つけない、無下にはしなかったことだろうと推察しています。

p213 借金が小額であるうちは、それは単なる借金に過ぎず、債務者にとっての保証にはならない。だが、借金が増大すれば事情は変わってくる。多額の借金をもつことは、もはや「保証」を獲得したことと同じになる。多額の借金は、債務者にとっての悩みの種であるよりも、債権者にとっての悩みの種になるからである。

確信犯ですね。冒頭のカティリーナと比較したときには気の毒でさえあります。それでも彼が英雄たりえたのは、"大きすぎてつぶせない"ほど借りまくった金を、街道の修復や盛大な剣闘試合の主催、選挙運動に使ったからであり、私腹をこやすためには一切使わなかったからでしょう。国家大改造という大目標に対し、スポンサー(というか最大の債権者)であったクラッススとて、カエサルにはお金を貸し続けるしかなかったといいます。
以上 文庫版「ユリウス・カエサル ルビコン以前(上)」より。

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七日食べたら鏡をごらん!

冬は鍋。わが家の週末はいつも鍋。野菜がいっぱい摂れて、しかも後片づけも簡単、それが鍋!
ところで、鍋料理に欠かすことのできない味な名脇役、それは「昆布」だと思うのです。お鍋といえば昆布ポン酢♪~なんてCMもありますが、お教えしましょう。この利尻屋みのやの人気No1「湯どうふ昆布」はホ・ン・モ・ノです。
もともとは、カミさんの友だちからいただいて、その存在を知ったのですが、これは美味い!鍋に放りこんでおいて、出汁をとった後でもじゅうぶん美味しくいただけるのには感動します。いい豆腐があったら、文字どおり湯どうふも試したいものです。
というわけで、何とか手に入れようと探したのですがネットショップには見当たらず。とうとう小樽に直接電話して取り寄せることに。大人買いか?・・・いえいえ、それほど豪快な話ではないのですけど、今シーズンを乗り切れるだけの昆布を手に入れ、なんか愉快な気分です。
「七日食べたら鏡をごらん!」というキャッチコピー、なかなかイケてませんか。ほんとはパッケージを開けて、昆布の生写真をこの場に投稿したかったのですが、湿気るからダメといわれて断念。たしかに、そこまでする義理はないとわれに返りました。(^^;
otaru406

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171

災害時の連絡はどう取ればいいのでしょうか?
こんな見出しで、災害伝言ダイヤル171の新聞広告が大々的に出ていました。地震などの災害発生時に、被災地の人と安否情報をやりとりするための伝言(録音・再生)サービスです。離れて暮らす両親、親戚、知人などと「いざという時は171ね!」と、あらかじめ確認し合っておくことが前提になりますね。毎月1日には、このサービスを体験できるそうなので、こんど試しておきたいと思いました。
明日17日で阪神大震災発生から10年。早いものです。

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オープン戦に強いチームは果たして優勝するのか?

2005年プロ野球オープン戦の日程が決まり、選手の自主トレ開始というニュースも聞こえてくるようになりました。
ところで、オープン戦に強かったチームはシーズン公式戦でも強いのか?この素朴な疑問に応えるべく、2000年度から2004年度までのオープン戦の順位を調べてみました。
次の一覧表で色のついたチーム(グリーン系=セ・リーグ、オレンジ系=パ・リーグを示します)は、該当年度の公式戦1位と2位のチームであり、●のついているのが優勝したチームです。
データだけを見れば、結構おもしろい傾向が出ているなあと思いました。何の根拠もない大胆な仮説を立ててみたのですが、結果はいかに!

仮説1・・・セ・リーグでは、オープン戦の成績が良かったチーム(6位以上)が優勝する。

仮説2・・・パ・リーグでは、オープン戦の成績が良くなかったチーム(6位未満)が優勝する。

仮説3・・・オープン戦の成績が極めて良かったチーム(1位、2位だったチーム)は優勝しない。

仮説4・・・前年度のオープン戦よりも順位を下げたチームが優勝する。

opensen5

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【ローマ人の物語8】カエサルの少年時代

紀元前100年、ローマ貴族の家に一人の男児が誕生しました。歴史上、英語読みではジュリアス・シーザーと呼ばれるローマ最大の英雄、ガイウス・ユリウス・カエサルです。3つの名前をもつローマ人なので、ユリウス一門に属する、カエサル家の、ガイウスさんということになります。

p53 少年の彼に考える材料を与えた人々は、「ユリウス市民権法」を成立させた伯父にかぎらず、その多くが少年の身近に生きる人々であったのだ。

彼が13歳だったときに、伯母の夫にあたるマリウスが、伯父であるルキウス・ユリウス・カエサルを殺すというショッキングな事件が起ります。スッラの軍事クーデターによってローマを追放されたマリウスが、怨念のかたまりと化してスッラ派の人々を皆殺しにするという復讐にでたのです。カエサルの少年時代に生きた歴史を変えた人物は、双方ともまぎれもない親族だったということです。感受性豊かなこの時期にあって、考える材料というには酷すぎる現実ともいえます。

p65 カエサルの生涯を彩ることになる勝負師的性向は、この母親からの遺伝であるのかもしれない。

すでに決まっていた婚約を破棄してまで、キンナの娘とカエサルを政略結婚させることに導いた母アウレリアの慧眼のことです。このときカエサル16歳。グラックス兄弟以降、「元老院派」と「民衆派」にニ分していたローマの政治勢力でしたが、キンナの娘を妻に迎えることによって「カエサル=民衆派」をアピールするという、当時の趨勢を読みきった判断でした。
生涯を通じてカエサルを特徴づけたことの一つに、絶望的な状態になっても機嫌の良さを失わない楽天的な性格があるといいます。この理由は、母親が幼少時に注いだ愛情にこそあるのだという部分が印象に残りました。
以上 文庫版「ユリウス・カエサル ルビコン以前(上)」より。

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極上なまどら焼き

デバ地下の特設コーナーにて榮太楼のなまどら焼きを見つけたので、おみやげに買って帰りました。ごま風味もいただきましたが、やはり普通の極上なまどら焼きの方が評判がよかったようです。ふっくらとした皮に、生クリームと小豆をまぜたクリーミーなあんが美味いっ!一旦冷凍した後、自然解凍していただくのが通の食べ方だとか。同じ宮城の銘菓「萩の月」もそうして食べるとおいしいですよ。知名度が上がれば、もっとブレークするお菓子だと思います。
namadora

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教師奴隷

ローマ人の物語を読んでいて、現代と感覚の違いを感じるものの一つに「奴隷」があります。塩野氏の別書である「ローマ人への20の質問」(文春新書)でも、16番目の質問として、この「奴隷」が取り上げられていますが、奴隷制=悪という常識ができたのはたかだか200年前。古代ローマはそれより2000年前であり、それが時代であったという説明に、何となく納得してしまいます。
spartacusギリシアの哲学者アリストテレスが、「肉体を使うことのみによって仕事をする存在。」と定義すれば、それより200年も前に生きたローマの王セルヴィウス・トゥリウス人は、「自由民と奴隷のちがいは先天的なものによるのではなく運命のちがいにすぎない。」といったそうです。ローマでは解放奴隷という考え方が定着しており、一定の条件のもとで市民権を獲得する道も残されていたのです。奴隷たちは、優れた才能や技能を身に付ける方が、反乱を起こすよりも自由民になる近道と考えた。だからこそ、スパルタクスの乱のような大規模な奴隷の反乱は、ローマにおいてほとんど起らなかったのだという見方は面白いと思いました。
一口に奴隷といっても、熟練技術者として厚遇される者から、それこそ鎖につながれて鉱山などで酷使される奴隷まで、グレードは様々だったようです。そして、ローマで最も高かったというのが「教師奴隷」。ギリシア語や弁論術をローマの良家の子弟に教える家庭教師です。奴隷という身分でありながら、ギリシア語の構文をまちがえたからといって子弟の耳をひっぱっても親は抗議しなかったという逸話があるほど、立場が強かったというから驚きです。またローマの上流階級では、主人の息子とともに、その秘書として奴隷の子をいっしょに家庭教師に学ばせ、教育する慣習があったため、死までを主人とともにする奴隷も少なくなかったといいます。ローマにおける主人と奴隷の関係には、日々の生活をともにすることで生まれた情や絆があったのです。
なお、逆にして「奴隷教師」と呼んだ場合には、意味が変わってしまう可能性があるので注意のこと。

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教育の本質は・・・

とても腑に落ちる記事があったので、主旨について自分なりに要約、抜粋しておきます。1月10日の読売新聞全国版「教育ふぁいる」のコーナーで見つけました。正高信男氏のコラムです。

最近、家庭内暴力のニュースが多くなっている。
こうした現象は、社会的自立ができないまま成人する者が増えているからである。
自立とは家を出て、単身で他人と対等にわたり合い、ギブ・アンド・テークの対人関係を築くことである。
そのような行動を可能ならしめるのは、人間の心にひそむ攻撃衝動にほかならない。
甘えられる家庭内から外に出ていく原動力となるのが、ヒトに備わった闘争本能といえる。
闘争本能は対象の破壊をもたらす力だが、それを無害な形に変えて外部に発散させることもできる。
たとえば、スポーツや音楽やらで発散させて、心のバランスを保っている子どもたちも少なくない。
人間が本来もっている攻撃性を、社会にとって有益な形へと無害化することが、教育とかしつけの本質だと表現できるのかもしれない。
ところが、昨今いつまでたっても家の外が、未知でおそれに満ちた世界のままでいる者が多い。
そうなると、攻撃エネルギーの放出の形式と対象がおそろしく限られてしまう。
結果として、自分が「心のいこい」を得ることのできる相手に、残酷な感情が剥き出しのまま向けられる。
「内なるエネルギーを外向きに正しく発散させる方法を教え、自分自身でそれができるようにすること」ともいえそうです。教育とは、その手伝いをすることだと考えれば、すごくシンプルに理解できそうな気がしました。

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20才のスピード

nagaim今日、全国で150万人の若者が成人の日を迎えたそうです。昼間に買物にいったら振袖姿が目立っていました。あたかも、いつも見ている風景画に、ところどころ明るめの絵の具が足されたような感じでした。
標題は永井真理子さんの「大好き」というアルバムに入っている曲です。
「chanceに強くなれ 弱い時にこそ~♪」というフレーズが特に好きでした。扶養家族をもつ身となり、当時とはまるで生活環境が変わりましたが、今口ずさんでみても元気がもらえそうな気がします。
スピードでいえば、加速中ということもあって体感スピードは当時のほうが速かったかなあ?と。ペダルを漕ぐのを少し休み、慣性の法則にしたがってそこそこのスピードで走っている。今はそんな状態かもしれません。
このアルバムについては、カセットテープ版を購入したことも懐かしい思い出です。自分自身がちょうど20才過ぎの頃だったはずです。
ジャーニーや今井美樹のテープまでありました。(^^;

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大河ドラマ「義経」

第一話をみました。平清盛についてのイメージが変わりました。これまで、やはり「平家にあらずば人にあらず」というイメージが強かったのですが、今回のテーマという「家族の絆、親子の絆」を描くための役づくりが良く出ていたと思います。渡哲也さんという配役は、今回をみるかぎり大成功ではないでしょうか。少年・牛若丸が清盛のことを父のように慕い、清盛もそれに応えるシーンが印象的でした。まさか後に平家一門を滅ぼす義経になろうとは。稲森いずみさんの母親役ははじめて見ましたが、常盤御前よかったです。今後の展開が楽しみです。

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キャエルちゃん

終わったあといつも虚しい思いばかりのUFOキャッチャー。今年はじめての挑戦はワンコインでゲット。マツイカズオもびっくりの初打席初球先頭打者ホームランの快挙に、おもわず「素晴らしい!」という歓声が聞こえたような気がしたのですが、気のせいだったようです。
キャエルちゃんは右手のRECボタンを押してメッセージを録音し、左手のPLAYボタンを押すとそれが再生できるおもちゃです。するとまたもや、愛する人のために肉声を送れるなんて「いいじゃないですか!」というささやき声が。
ところで、背景の「○○るということの意味」が意味深でしょ。「かえるということの意味」でも絵的には可笑しいですが、キャエルちゃんが電池交換できないお人形であることを察して、まさか「生きるということの意味」なんて想像する人はいないか?「まあそうですね。」
なお念のために申し上げておきますが、私はUFOキャッチャーヲタではございません。
内輪ネタで失礼しました。
kyaeru

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2005年プロ野球オープン戦

少々気が早いのですが、2005年のプロ野球日程をサンスポのサイトで見つけました。交流試合のスケジュールも含めて公開されているようです。2月~3月に行われるスワローズのオープン戦のカード(ホーム10+ビジター8=計18試合)をリストにしてみました。どのようにして決めるのかは関心がありますが、対西武戦だけは一試合もないようです。もちろんヤクルトスワローズのサイトでも確認できます。
ちなみに、オープン戦の試合数が一番多いチームは中日で22、一番少ないのはロッテと広島で15のようです。スワローズに関しては、このリストからも明らかなように最終戦こそ名古屋ですが、3月の中旬~下旬のほとんどが神宮でのゲームなので好条件なのではないでしょうか。若手の台頭、世代交代が期待される今年、ぜひじっくり調整してもらいたいと思います。(このあたりはRookie’s BARさんの解説が楽しいです。)
平日になりますが3月15日の楽天戦は見に行きたいなあ。

opensen


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【ローマ人の物語7】偉大なるポンペイウスだが

スッラ体制の崩壊後、ローマを率いてきたのは独裁官ポンペイウスでした。上司にあたるスッラが冗談めかして「マーニュス」(英訳ではザ・グレートの意)を付けて呼んだといわれる若き武将です。まんざらでもなかった様子のポンペイウス君ですが、その才能を如何なく発揮し、若くして凱旋将軍となった働きが、年功序列制にこだわる元老院体制と比較して、実力主義とたとえられています。

p194 43歳にしてポンペイウスは、「マーニュス」の尊称が、今度こそはまったく皮肉に聞こえない偉業を成しとげたのである。地中海世界全域で、最も有名なローマ人は、いや他民族を入れても最も有名な人物は、紀元前60年代の当時、まちがいなくポンペイウスであったろう。

ポンペイウスが実力で勝ち取った成果を追ってみると、第一にスペインでのセルトリウス戦役。スッラのブラックリストにのったセルトリウス(第二のハンニバルと呼ばれた)を追い討つべく、特例の絶対指揮権を与えられてスペインに派遣され、これ勝利します。第二に、その実績を引っさげて凱旋式挙行を要求しました。しかし年功制のもとでは資格のないポンペイウスは、「スパルタクスの乱」を平定したものの市民たちの人望に欠けるクラッススと秘密裡に結託して執政官に当選し、名実ともの将軍となります。第三に地中海の海賊一掃作戦の成功があります。捕らえた海賊たちには生業をあたえ住まわせた町を再興します。さらに勢いづくポンペイウスは、ポントス王ミトリダテスの制圧。(第三次ミトリダテス戦役)にも軍事と外交の両面から勝利します。
これらの活躍によって、ポンペイウスは小アジア地方の完全平定を実現し、地中海は文字どおりローマの「内海」に変わったのでした。巻末の地図ではローマ勢力が見事に地中海を包囲している様子がわかります。

p176 オチデント(西欧)での同盟とは、弱い国を味方にして強国に対抗するものだが、オリエントでは、強い国の味方になって弱い国を倒すものなのである。

第三次ミトリダテス戦役での小アジア諸国の姿勢です。パルティア王国(ペルシア)がローマと同盟を結んだことにより、危機感を抱いたアルメニアがローマに寝返ります。これでポントス王ミトリダテスは孤立し、ポンペイウスに滅ぼされることになったのです。ローマにゲームのカードとして使われただけのパルティアとの同盟において、「両国覇権の境界をユーフラテス河とした事が後に災いをよぶことになる」と書かれていた一節が何とも不気味な感じです。
しかし、このような偉業を成し得たポンペイウスでさえ、ヤコブ・ブルクハルトのいう「偉大なる個人」にはなれなかったといいます。「偉大な個人」とは、普遍と特殊、留まるものと動くものとが、一人の人格に集約されており、国家や宗教や文化や社会危機を体現する存在なのだといいます。いよいよ、ユリウス・カエサルの登場へと物語は続きます。
以上 文庫版「勝者の混迷(下)」より。

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#000023

濃紺、藍色、ネイビーブルーなどなど、いろいろな呼び方があると思いますが、ブログの背景を#000023に変更しました。やはり個人的には紺系の背景が好きです。
微妙な色合いを確認するには、こちらのColor Tableが大変助かりました。RGBの16進数で色指定ができ、実際に背景色を試すことができるすぐれものです。当然ながら#000023と#000024の差は肉眼では確認できませんが、昔から何かと縁のある数字の"23"を指定することに。
あわせてタイトルバナーの画像を横浜バージョンに差し替えてみました。昨年の今頃購入したホームページビルダーに付属していたウェブアートデザイナーというツールをつかって900×90でつくりました。デジカメ写真の合成や効果づけなど、素人レベルではありますが結構いろいろなことができて楽しかったです。
(こんな便利なものが付いているとは知らなかった。^^;)
ココログのサブタイトル入力フィールドではhtmlタグが使えるのですね。改行、フォントサイズなどを指定できるようでした。もしかしたら、これらのタグ情報もRSSリーダに読み込まれてしまうのかな?そもそも邪道なやり方なのかもしれませんが、いろいろと試行錯誤しながら勉強になってます。
・・・と、少しだけ聞きかじったテクニカルな用語を使ってみたかっただけなのでした。失礼いたしました。^^;

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【ローマ人の物語7】スッラが守ろうとした革袋

執政官となったルキウス・コルネリウス・スッラですが、同盟者戦役後のユリウス市民権法によって生まれた新市民と、元老院を中心とした旧市民の内紛に巻き込まれ、一旦ローマを追われます。名誉を汚されたと感じたスッラは腹心の私兵とともにローマに戻り、武力で首都を制圧します。

p70 ルキウス・コルネリウス・スッラは、「元老院体制」としてもよいローマ特有の共和政という「革袋」を、懸命に修繕しようと努めたのである。あちこちのほころびもただ単に古くなったがゆえであり、丈夫な革きれをあてて補強した革袋の中には、新しい葡萄酒を入れれば、まだ充分に使用可能であると信じていたのだった。

基本的には保守派で、この言葉に象徴されるように少数指導制というローマの政治システムを維持しようと努めた優れた政治家だったといえましょう。たとえば次のように形容される言動から、スッラという男の人物像が浮かび上がってきます。
・言動は常に「ドス」が効いている。
・ものごとの解決の優先順位を明確にし、決めたからには迷わない男。
・味方に対しては理を踏んでの説得の労を惜しまない。
・法にのっとって民主的に任期無制限の独裁官に就任した。
・地中海全域に睨みを効かせることができた唯一の人
・自ら独裁官を辞任し、ローマから離れて隠居。回想録では自分のことを「幸運に恵まれた者」と書く。
・公生活では厳正な態度を崩さなかったが、いったん家にもどるや、冗談好きで馬鹿騒ぎも辞さないローマ人に一変。

p120 システムのもつプラス面は、誰が実施者になってもほどほどの成果が保証されるところにある。反対にマイナス面は、ほどほどの成果しかあげられないようでは敗北につながってしまうような場合、共同体が蒙らざるをえない実害が大きすぎる点にある。

なぜスッラ体制が崩壊したのか。スッラが守ろうとした元老院体制を維持し続けるためには、一個人の力を突出させてはならなかったことを、このような示唆に富んだ表現で塩野氏は説明しています。反スッラ派ではなく、スッラの股肱(ここう)の臣ともいうべきルクルス、クラッスス、そしてポンペイウスなど、門下の俊英たちが、実はスッラ体制崩壊の張本人だったというところが非常に興味深い点でした。
以上 文庫版「勝者の混迷(下)」より。

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女性天皇について

巷では「女性天皇についてどう思うか?」といった聞き方をするアンケート類が多いようで、自分自身も勘違いしていました。「永世皇族制」の廃止を政府が検討していると1月4日の読売新聞が1面トップで伝えていたのですが、この問題のポイントは「女性天皇を認めるか否か」ではなく、女性天皇を容認するという前提で「どのように永世皇族制を廃止するか」にあることがわかりました。
直近に生まれた男子皇族は1965年の秋篠宮さまが最後です。その後誕生した9人のお子さま全員が女性であることから、継承者不在の危機をどう解決するかという現実問題への対応として、女性天皇の容認を前提とした場合の法整備(制度設計)をどうするかという議論になっているようです。
現行制度では、女性に皇位継承資格を付すことが認められていませんが、これを改正した場合、現行の「永世皇族制」を放棄しなければなりません。なぜなら、女性天皇が婿養子を迎えるにあたって、婿も皇族に含めるとなるとどこまでを皇族と認めるべきか一定の範囲を限定する必要がでてくるからです。子孫すべてを皇族とするわけにはいかなくなってしまうのです。今回は、その問題を解決するための具体案が3つ出てきたということのようです。
しかしながら、皇族の範囲を限定することは皇族の意味を問い直すことを意味するため、今後、国民的議論が不可欠であると読売新聞では締め括っていました。
新聞では国民の違和感、財政上の問題としか書かれていませんでしたが、永世皇族制を廃止することによってどのような問題が発生するのか、また将来的にいかなる影響があるのか、個人的にはまったく実感がなく、予想すらできない状態ではありますが、今月から始まる有識者会議には、読売新聞が言っているようにオープンな議論を期待したいものです。

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悪人正機

4101289220.09.MZZZZZZZ正月のテレビ番組では、親子ともども「ギター侍」に斬られまくりでした。帰省の新幹線のなかで読んだこの本も、吉本隆明さんが人生相談のかたちで、世の中の様々な事柄について淡々と斬っていました。シンプルな切れ味で読んだあとすっきりします。「理想の上司」ってなんだ?というテーマで、上司以上に大切なのは、実は「建物」なんだという考えが面白く、妙に共感してしまいました。
降りた新幹線のホームからは、夕焼けに映える丸ノ内のオフィスビルがみえました。明るいフロアを目の前にして、正月でも頑張れる理由は、やはり「建物」にあるのか、と思ったりして。

 上司の善し悪しっていうのは、よっぽど悪いのとか、えらく優秀なのってのは、あんまりいないわけでね。たいていは、ある程度の範囲内に入っちゃうから、そういうのは第一条件にはならないなって思うんです。
 それより、建物なんですよ。理想的な建物が理想的な場所にあって、ある程度以上の規模の会社だったら、毎日来てもいいやって気持ちになりますね。(「悪人正機」p87より引用)

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かまくら

DSCF2183正月につくった「かまくら」にろうそくを3本灯したときの写真です。周りが雪で白いこともあって、意外に明るくなるのには驚きました。こうやってみると竈に火が入っているようにも見えます。今頃、ほっとしながら、また寂しくなったなあなどと言いながら、田舎の「じいじ」と「ばあば」はこのかまくらを眺めていることでしょう。正月はお世話になりました。次はお盆にお邪魔しま~す。

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正月てええもんだ

050101_1141新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
年末の大雪から一転し、元旦と2日は気持ち良い晴れの日が続きました。元旦には近所の神社で初詣。参拝の人がほとんどおらず、露店が一軒もでてないところは、田舎ならではの良さでもあり寂しさでもあります。
050102_1126子どもは来た時から「雪」に対する目の輝きが違っていたようです。30~40センチは積もったであろう雪で、いっしょに「かまくら」をつくってみました。我ながらなかなかの出来ではないかと。今晩にでも、ろうそくの灯火でライトアップしてみたいと思います。"雪見酒"なんていうのも田舎でしか味わえない楽しみかもしれません。
050102_1152今年は酉年。実家の近くも毎年白鳥が飛来するという川があります。見に行ってきました。澄んだ空気に何度も深呼吸をし、ただゆっくりと水鳥を眺めているだけで、いつの間にか時間が経ってしまいそうです。
050101_1209床の間に飾ってあった2羽の彫物は「わし」ではなく「たか」のようでした。山形県米沢地方の「お鷹ぽっぽ」という伝統工芸品です。今年は地元イーグルスの活躍に期待したいところです。

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