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2005年2月

ゴールデンな週末

気がつけばゴールデンなものたちに囲まれた週末でした。

まず東北楽天ゴールデンイーグルス。26日のオープンで戦初勝利。しかも相手がジャイアンツであれば、すかさず祝!初勝利記念の楽天メールが届いたのも理解できますが、こういうのこそ相乗効果をねらった怒涛の広告というのでしょうね。でも、一場の初球いきなり150Kmはたしかにすごかった。

そして買物に出かければ、アサヒ本生ゴールドが新発売されて最初の週末。スーパーの店頭では賑やかに売り出していました。景品のマグネット付きキッチンタイマーはなかなか使い勝手が良さそうです。ただ本生4兄弟のなかでは、やはり「赤」の味が個人的には一番好きです。

新聞には、ゴールデンパラシュートなんて記事もみかけました。株の敵対的買収への対抗策の一つで、買収後に経営陣が解任された場合に、多額の退職金を支給する手法のことだそうです。役員だけ絶対安全なパラシュートをつかって脱出するとは、と心情的に少し抵抗を感じてしまいました。まあ、そう感じることこそ問題なのかもしれませんが。

あとゴールデンな週末といえば、息子がはまっている金色のガッシュベルですかね。ガッシュのカードを集め、マンガを読み、毎週日曜日のテレビを楽しみにしている彼の姿をみていると、キャラクターがメディアの融合によって強大化しながら文化にまで発展するという日本のポップカルチャーの勢いを身近に感じることができます。

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映画「ジュリアス・シーザー」をみた

レンタルビデオ屋の「史劇」のコーナーに、古めかしいVHSのビデオが置いてありました。タイトルは「ジュリアス・シーザー」。シェイクスピアの悲劇が映画化されたものです。
牛歩のごとく読み進めているローマ人の物語では、ユリウス・カエサルと呼ばれるこの人物像について、想像を掻き立てながら文字を追っています。しかし、これはあくまでも著者である塩野七生氏の視点や歴史観を投影したものです。「ローマ人の物語」シリーズという1本筋の通った読書に身をまかせながら、たまには同時代の映画作品や別の著書に寄り道するのもまた楽しということで、さっそく借りてしまいました。

物語は、シーザー暗殺の前夜の密談にはじまり、シーザーの暗殺後、ブルータスとアントニーの後継争い、その戦いに敗れて自害するブルータスの最期までが描かれています。「ブルータス、お前もか」のシーザーの文句があまりに有名ですが、物語はブルータスの悩みや葛藤が中心です。この映画、タイトルがジュリアス・シーザーであり、俳優の演技が目立っていたのはアントニーだとはいえ、ストーリー的には主人公はあくまでもブルータスのように思えました。シーザーのイメージが、塩野氏のローマ人の物語で描かれている寛容さや柔軟性、先日観た映画「クレオパトラ」のレックス・ハリソンが演じていた少しにやけた伊達男ぶりとは違って描かれていたように思えます。

キャシアスら陰謀者たちに引き入れられ、正義を信じてシーザー暗殺を実行したブルータスでしたが、シーザー追悼の名目で演壇に立ったアントニーの巧妙な演説によって、ローマ市民が「反ブルータス」へ導かれていくシーンは見応えがありました。また、アントニーの軍に追い詰められ、絶望したキャシアスとブルータスが、いずれもシーザーを討った剣をつかって自害するシーンは悲劇そのものでした。

これまでシェイクスピアはほとんど読んだことがなかったのですが、一つ一つのシーンがつながって全体のストーリーをつくりあげるという舞台劇ならでは?の面白さを少しだけ感じとれたような気がしました。

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【ローマ人の物語11】ファルサルスの会戦

ポンペイウスを追撃するカエサルが、歩兵47000に対して22000、騎兵7000に対して1000という大幅な劣勢のなかでいかに勝機をつかんでいくのか。ポンペイウス側ではただ一人、カエサルの手のうちを知り尽くしているラビエヌスでさえ思いもつかない秘密兵器を投入しました。

p235 敵の主戦力の非戦力化に成功した側が、どの会戦でも勝者になる。

カエサルは、敵の主戦力を騎兵だと考えます。それを非戦力化するために"馬"という動物の本能に目をつけたのです。兎がうずくまっているだけでも立ち止まってしまうのが馬という動物なので、疾駆してくる敵の7000の騎兵の前に、2000の兵士が突然壁となって立ちはだかるという秘密兵器なのでした。

p254 「方式」(メソッド)とは、誰が踏襲してもそれなりの成果が得られるものでなくてはならない。駆使する者の才能に左右されたり、その場でしか適用可能でないとなっては、教材にはならないからである。

ファルサルスの会戦で、カエサルは、アレクサンダー大王もハンニバルもスキピオもしなかったやり方で勝利します。カエサル自らが、「教科書どおりに対処していたのでは勝てなかった」とガリア戦記に書いているように、彼にとって「軍事」とは「政事」を行うための手段だったようです。
以上 文庫版「ユリウス・カエサル ルビコン以後(上)」より。

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寒い日はやっぱりラーメン

コクと風味があるのに、すっきりとしたとんこつスープが美味。臭みがまったくありません。醤油風味が効いていて、麺は少し太めのちぢれ系でした。最近食べたラーメンの中では★★★★★の評価をあげたい旨さです。てきぱきとした店員さんの対応もGood。カウンターしかないお店ですが、イスの高さが調節できて子ども連れでも全く問題ありませんでした。横浜の「ラーメンしらいし」です。

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「やりたい族」と「なりたい族」

日本資本主義の哲学という本を読んでいて目にとまった言葉です。
著者である木村剛さんの造語だそうです。実は半年くらい前に読んだ本だったのですが、ここ数日間でますますヒートアップするメディアのっとり戦争をみつつ、久々にページをめくってみると実にタイムリーな一冊だと感じましたので、以下引用させていただきます。

P232 私は、人間には「やりたい族」と「なりたい族」の二通りがいると考えている。「やりたい族」というのは、たとえば「自分は部長になって、これをやりたい」という人。「なりたい族」は「部長になりたいから、これをやろう」という人のことだ。一生懸命に仕事をしているという現象面は、同じなのでなかなか判別しにくいが、じつはまったく違う種族である。
荒々しい資本の本性はルールの束で制御しなければならないとか、「おカネ儲け」をミッションにしてしまったのが米国資本主義、「経営陣を守ること」というどうでもよいことをミッションにしてしまったのが現在の日本資本主義ではないかなど、本質をずばっと言い当てている気がします。資本主義という大原則のもとで、ライブドアVSフジテレビの本質を考えようとしたときにヒントがもらえる本だと思いました。
話を戻すと、今のところ、「ホリエモン=やりたい族、フジサンケイ=なりたい族」という図式ではないと思います。テレビを手に入れた後でどんな事業をやりたいのか、社会にとってどんな新しい価値を生み出そうとしているのかが見えてこそ、「やりたい族」なのだと思います。もしも地位と権力(おカネを含む)を手に入れたいがための株の買収劇だとしたら、残念ですが彼も「なりたい族」だったということでしょう。
やりたい族がもっているのが野心で、なりたい族がもっているのが虚栄心といえば、ぴったり収まりそうです。
両者が、仮に違う"種族"であったとしても、一度くらい話し合いの席についてもいいんじゃないかと個人的には思っています。いずれにしても、木村氏のいうフェアな戦いをしてほしいものです。
と、好き勝手なことを言ってますが・・・

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春一番

関東地方では「春一番」が吹いたそうです。
ちなみに広辞苑よれば、その意味は次のとおり。

はる-いちばん【春一番】
立春後、はじめて吹く強い南寄りの風。はるいち。

ところで、「春」という字は「三人の日」と書きます。

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NHKスペシャル「球団創設」

50年ぶりの新球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」誕生の舞台裏を追ったドキュメンタリーです。先週末に録画していたのがやっと観れました。恒常化した赤字を親会社の広告宣伝費に吸収することで、かろうじて成り立っている日本プロ野球の球団経営。そこに、あえて経常黒字という大目標を掲げた三木谷社長の挑戦です。先日のライブドアVSフジの記事で、joshiさんが

球団オーナーになるのなら野球を愛している人。ラジオ局の株主になるのならラジオが大好きな人になってもらいたいです。
とコメントくださいましたが、まったく同感です。そういう点では、三木谷社長の最大の興味関心は、もっぱら、いかに儲かるビジネスモデルをつくるか!だけにあるように感じられ、野球への思いがあまり伝わってこなかったのが少し残念でした。
今回の参入で、スタジアムの改修を自己負担で行う代わりに、年間を通じてスタジアムを自由に使用できる権利を得たという楽天球団。付帯ビジネスを直営にすることで、広告、グッズ販売、飲食、駐車場などの収入を見込み、老朽化した球場が宝の山になるというシナリオを描いているようでした。楽天のミーティング場面では、若手社員が幅広シートでゆったり観戦してもらおうというアイデアを提案していましたが、三木谷社長の詰問によりあえなく却下。シートを広げることで観客が10%減る。目減りする10%の売上をどうやって上げるのか?と。・・・おおっ、これがIT御三家のビジネス最前線なのか。「ヒルズに恋して」が予定どおり放映されることはないにせよ、草なぎ君にもこんなセリフがあったのだろうか。(すでに過去形になってますが。(^^;)
球団として年間70勝、プレーオフ進出を目論む楽天は、年俸総額22億円(巨人の使うお金の半分以下とか)でいい選手を集めることが至上命題。GMと編成部長が選手集めに東奔西走して、まったくのゼロから球団をつくっていく苦労が滲み出ていました。分配ドラフトで獲得した投手は17人いる。しかしほとんどがベテラン投手だ。彼らの奮起に期待して15勝。問題を起こした一場を獲得することに対し世間はどうみるかという葛藤のなか決断したのは三木谷社長。過去のしがらみのない我々だからこそ一場を獲るべきだと。そんな球団の熱意が伝わってか念願の一場獲得で10勝。さらに地元出身の社会人本格派の渡辺で6勝。マイエット(元米マイナー)、ホッジス(元ヤクルト)、ラス(元巨人)の外国人投手3人衆で20勝、そしてついに昨年パ・リーグ最多勝の岩隈の入団が決まった。16~18勝してくれれば69勝だ!・・・と皮算用していくドキュメンタリーの進行が面白かったです。
いずれにしても頑張れ楽天!

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ライブドアVSフジをみていて

ニッポン放送株をめぐるライブドアとフジテレビの攻防戦では、「どちちが正しくてどちらが悪いのか」、ライブドアのやり方に「賛成か反対か」、「好きか嫌いか」、さらには「どっちが勝ってどっちが負けるのか」等々、二元論で語られることが多いように思えてなりません。先週末に実施されたという日本テレビの世論調査によれば、次のような結果が出たそうですね。

[ 問11] 堀江貴文氏が社長を務めるライブドアが、フジテレビが子会社化を目指すと発表していたラジオ局のニッポン放送の株式を、およそ35%買い占めて、ニッポン放送やフジテレビなどフジサンケイグループ全体の経営に参画することを求めています。あなたは、堀江社長の株買い占めと経営参画の求め方について、支持しますか、支持しませんか?
(1) 支持する 35.9 %
(2) 支持しない 40.5 %
(3) わからない、答えない 23.6 %
ライブドア「支持しない」が上回るとはいえ、その差はわずか5%ですから、世論が真っ二つに割れている感じです。

そんなことを思っていたら、先ほど経団連の奥田会長のコメントがネットで流れたようです。世の中ではどちらかとえばライブドアへの批判が高まっている状況で、ニッポン放送とフジテレビにもあえて苦言を呈しています。と同時に「単なる金もうけなのか、フジサンケイグループをよくする狙いなのか、動機を説明すべきだ」と、ライブドアにも注文をつけていました。さすが!日本を代表する経済人です。バランス感覚だけでない切れ味も感じるコメントです。これで事態が収拾するはずもないのでしょうが、"喧嘩両成敗"という言葉を思い出してしまいました。

二元論をから一歩離れたクールな立ち回りといえば、本日の朝刊でみかけた谷垣財務相のコメントも役人らしい隙のない物言いでした。ライブドアの大量株取得に対して「大変重要な問題提起になっている」とだけいい、あたりまえですが是非、賛否、勝ち負け、など巷の関心事である攻防戦に対しては触れず、あたかもソフトウェアのバグでも修正するかのように、淡々と法の抜け穴を埋める決意について語っています。「問題提起」とは名言だと思いました。自分のすべき仕事をしっかりと心得ている役人に、個人的には安心感をおぼえました。また、今回の騒動では、時間外取引にしろ、放送への外資参入にしろ、法改正へむけたアクションの早さが目立っている気がします。

頑張れホリエモン!といいたくなるのも偽りない心情なのですが、じゃあもろ手をあげて彼に賛同するかと問われればNO!と言ってしまう自分は、単なる優柔不断なのでしょうか。

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【ローマ人の物語11】自らの考えに忠実に生きること

カエサルの信念ともいえるのが次の言葉です。1冊のなかで何度も同じ文章が引用されていました。カエサルがキケロにあてて書いた手紙の一節です。

p36&p104 わたしが自由にした人々が再びわたしに剣をむけることになるとしても、そのようなことには心をわずらわせたくない。何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々も、そうあって当然と思っている。

「賽は投げられた!」という名ゼリフとともにルビコン川をこえたカエサルは、元老院派の人々を率いて本国から逃げたポンペイウスを追撃します。しかし、降伏を申し出てきた兵士たちに対しては、捕虜にしたり殺したりすることなく許してしまうのです。「自らの考えに忠実に生きる」という点ではスッラと同じですが、反対派というだけで容赦なく皆殺しにしたスッラとは違い、勝てる会戦でも回避に務め、殺そうと思えば殺せた捕虜さえ釈放するという、いわゆる「敵を許す」という巧みな戦後処理こそカエサルの優れた点でした。
しかし、この寛容さこそが敵対する人々を恐れさせます。のちにカエサルを暗殺するブルータスこそ、カエサルに許された多くの者の中の一人だったのです。

p92 剣を使わずに思慮で勝つのも、総司令官の力量ではないのか。

誇りをもったローマ人同士の内紛であるからこそ、武力で制するやり方ではなく、相手が降伏するように仕向けるというのがカエサル流の戦い方だったのでしょう。彼こそ、権力で人を動かすのではなく、人を自発的な意思によって動かすことの重要性を知っていたリーダーといえるでしょう。
以上 文庫版「ユリウス・カエサル ルビコン以後(上)」より。

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"能率的"であること

目的と手段の関係に注目したとき
 目的<手段ならばムダであり
 目的>手段ならばムリが生まれ
 目的と手段がつりあっていない状態をムラ
といい、目的と手段がつりあっていれば「能率的」であるといいます。
「能率」から連想するものは何でしょう。

ストップウォッチをもって忙しなく仕事をすることだったり、
機械を効率よく稼動させて、ぎりぎりまでコストを削減することだったり、
いわゆる管理とかマネジメントという、人間らしさを抑圧するものであったり、
経済至上主義の延長にある言葉のイメージでしょうか。

そもそも「モチマエを100%いかす」というのが、能率の基本的な考え方なのですが、
このモチマエとは、モノの性能や機能にとどまらず、人の個性とみることもできるような気がします。
そして「必要なものを必要なだけ」をめざす思想は、
スローライフ、個性重視、セルフコントロール、創造性、、、etcといったキーワードに近い
今日的な考え方ではないかと思います。

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沈むツバル

地球温暖化防止のため、先進国にCO2など温室効果ガスの排出削減を義務づけた京都議定書が発効しました。7年越しでようやく発効にこぎつけ、さらには今から3年後の2008年~2012年に、先進国合計で排出量を5.2%削減(排出量を1990年比)することが義務づけられるという、ちょっと気が遠くなるような話です。ちなみに、日本は6%の削減義務を負いますが、米国は協定から離脱、中国も途上国であるという理由から削減義務がないそうです。"宇宙船地球号"の同乗者として、いかなる理由であれ義務を免れるとは不条理な話です。
そんな国際ルールが発効したというニュースの傍らで、「排出権ビジネス」なるキーワードをみつけました。義務づけられた削減目標に届かない不足分を、他国などから買い取る仕組みです。「排出枠」の売買によって新たなグローバルビジネスが広がる一方、発展途上国への環境関連の技術移転が期待されているといいます。やはり優先されるのは「経済」なのか。。。
そんなことを思いつつ、読売夕刊に「沈むツバル」という見出しをみつけました。ツバルは南太平洋に浮かぶ海抜2メートルの国です。サンゴ礁が美しいこの島では、満潮時になると島中のアスファルト道が海水に浸り、民家の庭からも海水がわき出す状況なのだそうです。年々状況が悪化していて、塩害など生活へも深刻な影響がでているとか。このままだと今世紀中にも海に沈むかもしれないといわれる国の住民は、何を思うのでしょうか。
「沈むツバル」とは、あまりにもショッキングでした。

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これは面白い!~デザインバーコード

デザインバーコードなるものを知りました。
すでにサントリーの燃焼系アミノ式などに採用されているようです。
何の面白味みもなかった業務用の縦じま模様が、生き生きとしたコミュニケーションシンボルに生まれ変わっています。純粋にすごいアイデアだと思いました。
これを考えたデザインバーコード株式会社のサイトでは、消しゴムのバーコードや、サーフィンのバーコード、ピザのバーコードなどをみることができます。この会社、事業内容に、ムーブメントを起こすさまざまな企画、というのを掲げている点からしてブレークスルーしていますね。
個人的には、やはりラーメンのバーコードが傑作だと思いました。

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【ローマ人の物語10】賽(さい)は投げられた!

カエサルがルビコン川を渡ることを決断したときの言葉で、元老院に対する宣戦布告を意味するあまりにも有名なセリフです。「ローマ人の物語」シリーズでも、ルビコン以前とルビコン以後で巻が分けられており、この出来事がローマ史上重要なターニングポイントとして意味づけられていることがわかります。

p234 「ここを越えれば、人間世界の悲惨。越えなければ、わが破滅」そしてすぐ、自分を見つめる兵士たちに向い、迷いを振り切るかのように大声で叫んだ。
「進もう、神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた!」
兵士たちも、いっせいの雄叫びで応じた。そして、先頭で馬を駆るカエサルにつづいて、一団となってルビコンを渡った。紀元前49年1月12日、カエサル、50歳と6ヶ月の朝であった。

ルビコン川はローマの国境であり、軍を率いてこれを越えることは完全な国法違反です。というのも、軍勢を率いる権限をもつのは絶対指揮権(インペリウム)を与えられた属州総督だけであり、属州総督である間は首都の城壁内には入れないのがローマの法であったからです。ポンペイウスが元老院側に取りこまれたことにより、ポンペイウスを討つためにローマ人同士の戦いが始まろうとしていました。元老院主導の少数寡頭政に限界を感じたカエサルが、新しい統治システムを勝ち取るために仕掛けた戦いでもありました。

p177 私個人は、先にも述べたように、虚栄心とは他者から良く思われたいという心情であり、野心とは、何かをやり遂げたい意志であると思っている。他者から良く思われたい人には権力は不可欠ではないが、何かをやり遂げたいと思う人には、権力は、ないしはそれをやるに必要な力は不可欠である。ところが、虚栄心はあっても野心のない人を、人々は、無欲の人、と見る。またそれゆえに、危険でない人物、と見る。かつがれるのは、常にこの種の「危険でない人」である。

輝かしい戦績をもち、ローマ最高の武人としての名声を浴びるという虚栄心をくすぐられたポンペイウスが、狡猾な元老院に利用されました。政治的野心のないポンペイウスは、危険な存在とはみなされなかったのです。先にクラッススがパルティアで戦死したことで、すでに一角が崩れていた三頭政治による統治システムはこうして崩壊し、カエサルにルビコン川を渡る決意させました。
以上 文庫版「ユリウス・カエサル ルビコン以前(下)」より。

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争奪戦

くじ引きをして出た番号の場所に刺さっているチョコ棒を順番にとっていきます。チョコのかかったイチゴ、バナナ、マシュマロ、ベビースターラーメン、いろいろありましたが、やはりイチゴ味が人気でした。わが家のバレンタインデーでも、勝ち組みと負け組みの差がハッキリでたようでした。

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映画スパルタカス

spartacus「死によって自由人は楽しみを失うが、奴隷は苦痛をまぬかれる。奴隷にとっての自由とは死であるから、死を恐れない。われわれは勝つ。」こんな思いを胸に秘めた奴隷たちが、自由を勝ちとるために元老院が支配するローマ帝国と戦います。反乱を企てた奴隷たちのリーダーであるスパルタクス(カーク・ダグラス)の生きざまが強く、切なく、心にしみます。
自由を求めて故郷トラキアへ帰ることだけを望み、イタリア半島南端の港をめざすスパルタクス一行でしたが、ローマの威厳にかけてそれを許さなかった元老院は、クラッスス(ローレンス・オリビエ)を差し向け、反乱軍を制圧してしまいます。捉えられた捕虜たちに対し、クラッススは「スパルタクスを差し出せば命を助けてやる」といいますが、奴隷たちが一斉に「我こそスパルタクスだ」と立ち上がるシーンには鳥肌が立ちました。その結果、捕虜となった6千人の反乱軍は、ローマにつづく街道沿いに十字架にかけられてしまいます。
クラッススと元老院で権力争いを繰り広げるグラックス(チャールス・ロートン)ですが、ローマの内紛(ローマ人の物語では「勝者の混迷」のあたり)のなかで、あくまで民衆派としての信念を貫いた一人の政治家として描かれていたと思います。「政治は実利を計る仕事だ。欲しいものは罪人からでも買う」とまで言い放ったグラックスでしたが、最後にはスパルタクスの妻であるバリニアを奴隷から開放し、逃してやるのでした。十字架にかけられたスパルタクスを目の前にしてバリニアが旅立つシーン、「Good bye my love」「Good bye my life」というセリフには泣けました。3時間を超える大作でしたが一気に最後まで観ました。

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天園ハイキングコース

古都鎌倉を囲むように連なる北東部の山々を歩きました。建長寺~瑞泉寺にいたる約4kmのコースは、天園ハイキングコースと呼ばれています。子どもと2人、のんびりと3時間半かけて山の景色を楽しんできました。どちらからでもスタートできますが、われわれは建長寺側から登ることにしました。拝観料300円(子どもは100円)を払い、建長寺の門をくぐると、樹齢約800年という巨大な柏槇(びゃくしん)が目に入りました。【10:05】

半増坊をめざして延々とつづく石段は、ハイキングの初っ端としては少々つらかったですが、斜面にはいろいろなポーズをとった青銅製の烏天狗が待ち構えていて楽しめました。今登ってきた建長寺の門が右下に、中央には鶴岡八幡宮から海へ向けて一直線に走る若宮大路がはっきりとわかります。ここまで一気に登った感じです。海の青さが爽快。【10:30】

そこから15分ほど歩くと、かながわの景勝50選の一つである「鎌倉十王岩からの展望」に到着。眼下に広がるのは横浜市側の風景であり、遠くにはランドマークタワーを望むことができました。ちなみに手前にあるのはゴルフ場です。【10:40】

ハイキングコースには随所に標識があるにもかかわらず、鷲峰山の分岐点で誤って覚園寺方面に降りてしまい、大ブーイング。
来た道を戻るというロスがありましたが、何とか今回のハイキングコースの最高地点である太平山に到着。標高159mだといいます。目の前にある岩山の途中でシートを広げてお弁当を食べている人たちが多かったです。その先は平地が開けており、ボール遊びでもできそうな広場のようです。【11:40】

天園にある峠の茶屋ではジュースを買って一休み。ここは私有地だそうで、何か買えば休憩所を利用できるようです。われわれは食べませんでしたが、他の人がおでんが美味しいといっていました。【11:55】

天園の休憩所から瑞泉寺へは約20分という標識がありましたが、下りの道は比較的楽でした。ハイキングコースには、みごとな杉林があったり、地面が硬いからなのか巨木の根が蛇のようにうねった箇所が多くみられました。鞍馬山で修行をしたという義経は、もしかしたらこんな山道を全力疾走していたのかもしれません。途中、洞窟らしきものや、お地蔵さんもありました。
やがてハイキングコースの終点に到着。長い下り坂のおかげで、カクカクと足が笑っています。標識はあるものの、民家の横の路地を入るような場所にあって、こちらからスタートする場合は、少し分かりにくいかもしれません。このあと、八幡宮へ向かう途中の中華屋さんでラーメンを食べました。作家胡桃沢耕史さんのサインが飾られていたのが印象深かったです。【12:40】


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復活

吉牛が今日だけ復活。長い行列ができていました。ニヤニヤしながら傍らを通り過ぎるワンオブゼムになろうかとも思いましたが、「本日限定、なくなり次第終了」に負けてしまいました。それにしても順番が来るのが早いこと!10分と待ちませんでした。あいかわらず恐るべし回転率です。みていると3人に2人が大盛りをオーダーしている感じで、みんな待ち望んでいたんだなあと実感させられました。もちろん自身も大盛。
横浜西口にて@モブログ
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にくの日の思い出

2月9日は多分「にく」の日なのではないかと、肉を食べようというコンセプトで職場の宴会を企画しました。メンバーからの公募型で選ばれたこの企画、その名も「ナナメ上を向いて歩こう!」コース。九ちゃんのSUKIYAKIにかけたのですが、実はナナメ上という点に"裏のこだわり"があって、上昇志向もナナメ上向きくらいが丁度よくて、一歩一歩着実にいこうよという思いと、ナナメ上をみたらきっと梅が咲いているよ(丁度、近くの湯島天神で梅祭りが開催中)という意味を込めたのでした。

さて、湯島にある創業100余年江戸の味を誇る、すき焼き「江知勝(えちかつ)」の話です。外ですきやきを食べるのは初めての経験でしたが、思ったより厚みのある霜降りの牛肉は、口に入れたときの柔らかさが絶品でした。鉄鍋には、まず割下を先に入れるのが関東流のようですが、甘味が少ない醤油系は個人的には好みの味でした。家に帰ってきた今でも、それほど喉の乾きを感じないのは意外というかさすがです。具は豆腐、しらたき、春菊、ねぎなど、いたってシンプル。まさにお肉を味わうためのすき焼きでした。普段は敷居が高くていけないお店だけに、会社からの福利厚生補助があってこその、年に1度の贅沢でした。店名には明治初年頃、越後屋勝治郎さんが始めたという由来があるそうです。

今日の昼間、BES問題をめぐって条件付きですが米国産牛肉の輸入再開が大枠合意されたというニュースを知り、「にくの日」だけに何かの因縁を感じてしまいました。そういえば、吉野家が1日だけ牛丼を復活するというニュースが流れたばかりでしたね。これは明後日11日の予定だそうです。
というわけで、今日だけは言わせていただきましょう。牛肉万歳!

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ヒット商品の裏側にある「型」を探ろうという試みが面白いです。たとえば、DAKARAを生み出したサントリーには商品開発の「型」が、アコードワゴンを生み出したホンダには製品開発の「型」が、変り種では、黒川温泉の成功の「型」なんていうのもあります。ここに紹介されている13の「型」の物語は、いずれもプロジェクトXを彷彿させるような熱を感じさせます。
この「型」のことを、野中郁次郎先生は、クリエイティブ・ルーティンと呼んでいます。逸脱やかく乱を許さない標準化やマニュアル化は、ただのルーティン(お決まりの手順、決まりきった仕事)にしかならないが、クリエイティブ・ルーティンは、実行力を磨き上げる型だといっています。キヤノンのセル生産式でいうスーパーマイスター級には、自ら改善を積み重ね、自己革新を続けていく優れた達人技の「型」があるといいます。
実はここ数日で、こんどは"セル生産方式"という検索ワードがヒットしているようだったので、この「イノベーションの本質」の冒頭に取り上げられていたキヤノンのセル生産方式について、感動的なエピソードをあげておきたいと思います。
いまやキヤノンの代名詞ともなったセル生産方式ですが、実は昭和39年にすでに目をつけていた男がいたそうです。井深大、いわずもがなソニーの創業者その人です。それは、当時カラーテレビの開発にあたって、「これまでになかった新のしい製品をつくるのだから、従来とは違った製造方法があってもいいんじゃないか」という一声からはじまったといいます。若い技術者は意味がわからずに聞きなおしたところ、単純作業をくり返すベルトコンベア式生産に強い疑問をかかえていた井深氏が、たえまない生産革新を実現する活気に満ちた人間尊重の生産現場をつくりたいと考えていたのだそうです。紆余曲折ののち、やがて人間性尊重の理念とトヨタの生産方式が出会い、日本初のセル生産方式が誕生しました。これを本格的に導入したソニーの木更津工場を見学したキヤノンの御手洗社長は感激され、自社への全面導入を決断されたのだそうですが、そのとき御手洗社長を案内した工場トップこそ、井深社長が当時生産現場で声をかけた若き技術者だったというのです。なんともドラマチックないい話です。

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サラ川

第一生命のサラリーマン川柳の優秀作100句が発表されたようです。
ここでも韓流強しとか。
さらにベスト10を決めるための投票受付中。
ちなみに前回の1位は、

「課長いる?」 返ったこたえは 「いりません!」
だったそうです。
なかなかの傑作ですね。
たまにそういう電話ありますよね。特に位の高い方に多いかも。
すかさず「いりません」と返してみたらどうなるでしょう。
むしろ「ほしいです!」と言ってみた方が気が利いてますかね。
いずれも冗談の通じる相手限定で。

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グラディエーター

古代ローマの剣闘士のドラマを描いたグラディエーター(Gladiator)を観ました。先日のクレオパトラに続き、また少し、ローマ時代の魅力を再発見できました。映画は森林でのリアルな戦闘シーンから始まるのですが、槍や投石器をつかって敵をかく乱し、ローマの重装歩兵が隊列を整えながら前進し、背後から騎兵が挟み撃ちにするという戦い方は、【ローマ人の物語】での戦闘シーンそのもので、冒頭から引き込まれてしまいました。
この戦いでローマの英雄となったマキシマス将軍(ラッセル・クロウ)ですが、皇帝アウレリウスの不肖の息子コモドゥスの嫉妬から、愛する妻子を殺され、一転して奴隷の身に陥れられます。
人間同士、あるいは人間と猛獣を戦わせる見世物は、当時のローマにおける統治システムだった、いわゆる「パンとサーカス」のサーカスを意味します。この映画のなかでも、大衆市民の心を捉えた者がローマを制覇するのだというフレーズが幾度となく出てきます。コロッセウムでの決闘後、皇帝の親指の向き一つで剣闘士を生かすか殺すかが決定されるように、本来は皇帝の統治を強めるために行われたショーだったはずです。しかし、市民の心を捉えたのは、剣闘士マキシマスなのでした。コモドゥスへの復讐を超え、人間の尊厳をかけて戦い続けるマキシマスが、いつの間にか大衆市民の心を捉えてしまうストーリーに心を打たれました。
映画では、元老院の良識派としてグラックスが登場したり、コロッセウムの舞台装置にライオンが登場する大掛かりな細工がしてあったりと、これまで読んだり見たりした当時のローマが映像に再現されていて楽しめました。マキシマス役のラッセル・クロウが注目されますが、誰にも愛されることのない悪役コモドゥスを演じたホアキン・フェニックスの演技もすごいと思いました。
どうやらマキシマスという人物が実在していたかどうかは定かではなく、コモドゥスが決闘後に死んだという史実もないようですが、当時のローマの本質をこれだけ見事に描いた作品が、2000年度アカデミー賞の主要部門を総なめにしたのも頷けます。

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時を刻む

時報が鳴ったわけでもなく、ふと見上げた視線の先に「時計」がある偶然。
意識していなかった分だけ、素直な写真がとれた気がします。
2005年2月6日午後3時が、これから先2度と来ないことを思うと不思議な感じがします。
2月にしては、やけに空の青さが鮮やかでした。

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行列のできるラーメン屋

今日は、行列のできるラーメン屋の、その行列の一番前に並ぶことができました。支那そばを注文しましたが、家族が頼んだ醤油ラーメン、塩ラーメン、いずれも細麺と和風だしのあっさり系が美味でした。チャーシュー飯もおすすめです。お店を出る頃、すでに長い行列ができていて、なおさら満足度UPでした。

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クレオパトラが愛した2人の男

小説「ローマ人の物語」と並行しながら、この時代のローマを描いた映画をみると、運命に翻弄された人間ドラマとしてよりいっそう楽しむことがでてきます。不朽の名作といわれる「クレオパトラ」を初めて観ました。エリザベス・テイラー演じるクレオパトラはもちろんのこと、彼女が愛したローマの将軍の心の葛藤に同化し、人間的魅力に惹かれてしまいます。
政敵ポンペイウスを追ってエジプトに上陸したシーザー(カエサル)はクレオパトラと出会います。シーザーはその英知と美貌の虜になり、クレオパトラを妻としてローマに迎え入れます。スフィンクスにのってローマを凱旋行進するクレオパトラの鮮やかで絢爛な映像が印象に残ります。今ではクレオパトラの湯などと象徴される、当時繁栄をきわめたエジプト王朝の高貴で妖艶な暮らしぶりが伝わってきました。そんな女帝から一人の男として愛されたシーザーの威厳にみちた将軍ぶりも光っています。やがてブルータスら元老院派によってシーザーは暗殺されます。悲しみに暮れるクレオパトラはシーザーの股肱の兵だったアントニウスとの再会を約束してローマを離れ、エジプトに帰国します。
3年後、内乱状態のローマでは、シーザーの養子であるオクタヴィアヌス(のちに初代皇帝アウグストゥスとなる)、アントニウス、レピドゥスによる第2次三頭政治が行われていました。3年前の約束を果たし、自分の想いをクレオパトラに告げるアントニウスは、クレオパトラと恋に落ちて骨抜きになってしまいます。妻であったオクタヴィアヌスの姉と離婚したことで、オクタヴィアヌスとの対立が決定的となったアントニウスは、「私が死んだらクレオパトラとともにアレクサンドリアの墓に埋めてほしい」という遺言まで認めます。このことが知れるや、ローマ軍は裏切り者を討つべく、クレオパトラへ宣戦布告したのでした。有名なアクティウムの海戦です。戦いのさなか、アントニウスが戦死したと知らされるやクレオパトラはいち早く敗走します。それをみた司令官アントニウスも、劣勢のなか戦い続ける兵士を残したまま彼女の後を追ってしまうのです。そこにあったのは、闘将としての誇り、ローマ人としてのプライドなど、これまで築いた一切の名誉を捨て、クレオパトラへの愛だけを貫いた一人の男の姿だけでした。
オクタヴィアヌスに攻められ、首都アレクサンドリアの陥落もまもなくという頃、墓にこもったクレオパトラは、アントニウスに自分は死んだと告げさせます。ローマに戻らせようとしたのでしょう。しかし、アントニウスは悲嘆にくれ、自害します。それを知ったクレオパトラも彼を追います。黄金の衣を身にまとい、毒蛇を仕込んだいちじくの壷に手をいれて自らの命を絶つのでした。
以上の出来事が、高校の世界史の教科書では、次のたった3行で記述されています。

やがて東方でプトレマイオス朝の女王クレオパトラと結んだアントニウスを、オクタヴィアヌスがアクティウムの海戦で破り、100年およぶ内乱はようやくおさまった。

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【ローマ人の物語10】カエサルによるガリアの征服

8年間にわたるガリア人との戦いを経て、カエサルは悲願のガリア征服を成し遂げました。

p146 カエサルが、ポンペイウスをはじめとする彼の同時代人とちがって、元老院よりも市民の支持に賭けたからだ。それならば、支持を求める相手には、判断をくだせるだけの情報が与えられねばならなかった。

思い返せば、カエサルが執政官に就任した時の初仕事は「情報公開」でした。元老院での審議内容を、フォロ・ロマーノの建物の壁に貼り出したのです。当時では画期的なことでした。反カエサル派のキケロや小カトーが演壇というマスコミを活用したのに対し、カエサルは見事な文章力で対抗したのです。「ガリア戦記」の執筆こそ、市民の支持を手にするためのカエサル流のマスコミ活用だったと。映画「クレオパトラ」では、エジプトの誇り高き女帝クレオパトラが、尊敬の態度で「あなたの書いたガリア戦記読んだわよ。」と囁くシーンがあります。カエサルは、優れた戦術家であるとともに、才能に恵まれた文筆家でした。この後間もなく、ブルータスに暗殺されてしまいます。

p96 首都ローマにいる元老院議員にとってのヴェルチンジェトリックスは、他の野蛮な民族と同じ、長髪のガリア人の一人にすぎなかった。しかし、前線にいるカエサルは、そうは見なかった。

団結心の希薄なガリア人を統率した若き総大将について、若き日の自分自身の姿を投影したのでしょう。カエサルはガリア戦記の中で次のように書いています。
敗北は、多くの場合総司令官への信頼を失わせるが、彼の場合は、敗北を喫してからのほうが、彼に寄せられる信頼が強固になった。
カエサルが欲しかった人材に違いないのですが、「そのような逸材は敵側にしかもてなかったという例で満ちている」というところが、残酷な運命のめぐり合わせを感じさせます。
文庫のまえがきに、カバーの銀貨についての説明があるのですが、ガリアの敗将であるヴェルチンジェトリックスの顔がなぜ通貨に刻まれているのか?塩野氏は、それはカエサルの深謀遠慮なのだといいます。ローマ人たちがこの銀貨を手にするたびに、カエサルによってローマの属州となった広大なガリアを思い起こすだろうという強かな計算があったのです。カエサルにしてみれば、元老院体制の打倒をめざすカエサルにとっては、市民の支持を得るためにも、自分の貢献を広く宣伝する必要がありました。
ガリアの最後の砦であった「アレシアの攻防戦」こそ、ブリタニアをふくめたピレネー山脈からライン河に至る地方の以降の歴史を決定した出来事であったと研究者は言っているようです。
以上 文庫版「ユリウス・カエサル ルビコン以前(下)」より。

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恵方巻き

節分の夜、その年の恵方(えほう)を向いて、無言のまま巻き寿司を丸かぶりすると、幸運を招くのだそうです。そういう伝えが古くからあるとか。ここ最近、コンビニやスーパーで予約受付中など、派手な宣伝をしているなあとは思っていましたが、自分がこれまで暮らしてきた地域では、あまり馴染みのない風習です。特に信心深いわけでもないのですが、季節感のある生活には憧れます。朝食に鰯(いわし)の目刺しがでたのも、実は鬼を追い払うという意味があったと聞き、なかなか粋なことをするもんだと感心。
帰り道、待ち行列のできていたお店に並び、買って帰った恵方巻きは、「かぶり寿司」と「海鮮巻」の2種類。どちらも海苔の艶と風味がよく、具も美味しかったです。いわゆる太巻きを丸かじりするなんて初体験です。もちろん西南西を向いていただきました。

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RSSリーダー標準装備

@niftyのWebメールにRSSリーダーが標準装備されたようです。さっそく自分のブログを登録してみました。この文章を投稿することによって(=サイトを更新する毎に)通知メールが届いているはずです。

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KAFKA(カフカ)

最近何かと気になる「カフカ」です。オースターの書評を読めば比較対象として作家カフカの名前が、そして先日レンタルビデオ屋にいった時のこと、そのものずばり「KAFKA~迷宮の悪夢」というタイトルが目に入りました。監督はスティーブン・ソダーバーグ、どこかで聞いた名前だと思えば、いま話題の「オーシャンズ12」を手がけた監督さんだったのですね。
物語ですが、カフカ自身を主人公にしたサスペンスです。昼は保険会社の事務員として働き、夜は小説を書くという単調な生活を送っていたカフカ。ある日突然、数少ない友人の一人が失踪します。調査を進めていくにつれ、背後に管理社会プラハの権化ともいえる「城」の謎が浮き上がってきます。
カフカが書いた小説のファンであった石工(自らも石を刻むアーティストだと思っている)が見つけた墓石から城に通じる地下道は、街で疫病が流行ったときの裏通路だったといいます。城に入ったときからはじまる悪夢は、急に鮮やかなカラー映像になります。迷路のような城のなかでは、能率的に働く人間をつくるために人体実験が繰り返されていたのでした。天才科学者が発明した脳を覗く巨大な顕微鏡が何ともリアルで不気味です。それまでモノクロ映像で表現されていた「暗黒の街プラハ」という現実が、悪夢になったとたんにカラーになるという演出が面白かったです。そして城を出ると、映像はふたたびモノトーンに切り替わります。別れた恋人とカフェで歓談していたのは、城で実験台にされていた男ではなかったでしょうか。ラストシーンで小説を書きながら血咳するシーンがありますが、まさに疫病(結核)で逝去したといわれる生涯を再現したものだったのだと後で知りました。カフカを演じたジェレミー・アイアンズが、感情の起伏のない演技で、孤独感、不安感を絶妙に表していたと思います。
実存主義とか、精神分析とか、そんな言葉を聞いただけで気おされてしまうカフカ文学ですが、無理に「分かろう」としたのがいけなかったかもしれません。気楽に「味わう」つもりで映像から入ってみると、思ったより楽しめた作品でした。

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