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是か非か、学校で教える“国を愛する心”

24日放送のNHKBSディベートをみました。教育基本法改正をめぐって是派である西澤潤一氏(首都大学東京学長)と松本健一氏(評論家)、非派である澤地久枝氏(作家)と藤田英典氏(国際基督教大学教授)の四氏による議論は大変興味深かったです。論点がいくつかあったと思うのですが、自分なりにインスパイアされた意見や問題提起、思ったことなどについて、忘れないうちに書きとめておこうと思います。

●“国を愛する心”が教育基本法に盛り込まれた場合、どのような変化や影響をもたらすと考えるか?
君が代斉唱などにみられる不当な強制につながるのではないか、というのが藤田氏の一貫した主張だったと思います。条文に入ることで、必然的に「評価」が起こり、愛することを競い合うという現象が起きることを強く懸念されていました。個人的には、教えることと評価することは一対の関係であるべきだと思いますが、その一方で、心まで評価できるのか?(評価の低い子に心がないと言い切れるのか?)という指摘をしたスタジオの声もありました。西澤氏も教育現場で強制されるべきものではないという考えは同じでしたが、必要性を知らしめるショック療法として条文に入れることの意味があると考えているようでした。

●私と公、自由と強制のバランスについて
教育基本法改定の目玉は「公の視点をもつ教育」ですが、ここでいう「公」の意味についてです。「公=国家」と考えるから問題があるというのは松本氏の指摘でした。なるほど家族のなかにも公はあり、地域社会、郷土、その延長線上としての国、世界、地球という広がりとして「公」を捉えられれば、必ずしも戦前の軍国主義を想起しなくても済むかもしれません。
しかしながら、その「公」についての教え方を、教育勅語のように「かくあるべし論」ですすめるのであれば、義務教育=強制となってしまいます。かといって、教育指導要領の範囲外の教育に、自治体や教育現場の判断(教えても良いし教えなくてもよいという自由度)があるのだとすると、それもどうなのかなあと感じてしまいました。条文に入ったからといって「国を愛しなさい!」とそのまま教育現場で教える教師はいないだろう!という西澤氏の意見は、バランスをとるのは教育現場の教師の力量にかかっていると聞こえてしまい、先生方には酷のような気がしました。

●これからどんな学校教育が必要か?
日本人であることを誇りに思えるようになるための教育が必要だという点では四氏とも意見は一致していたようです。なかでも国際社会における日本人のアイデンティティ喪失への危機感が背景にあったように思えました。冷戦終結後グローバル化が進むなかで、日本の歴史・文化を知らなすぎる日本人に対し、「自国を愛していない日本人が、どうして我々を理解してくれようか」と、松本氏のあげた外国人の日本人観の例が、個人的には大変説得力がありました。「日本という国を好きになる気持ちを育む教育」の必要性ですね。
もう一つには、歴史の押しつけや、かくあるべしという強制ではなく、ありのままの事実として歴史や他国との日本の関係について教え、考える力、感じとる力を育てられるような教育が必要であるという点も、西澤氏をはじめ澤地氏も言及しており、これも是派非派の統一見解だったように思えます。

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