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「核」について考えたこと

5年ごとに開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議が始まりました。
今回の会議では、核の不拡散を主張する保有国(米国)と、核の軍縮を主張する非核国(マレーシア、インドネシア他、新アジェンダ連合)との激しい対立によって、開幕までに議題さえ決まらない波乱含みの状況だといいます。

この状況を、吉本隆明氏は次のように表現しています。

要するに核兵器を持っているやつは持ったままで、持ってないやつに、今後はもう持つなって言ってるわけですよ。そんなバカな話はないわけです。それでは、持ってなかった国は「おまえらが減らさないんだったら、俺だって持つよ」って言いますからね。しかも、その発言権の順序が、武力の保有に比例するような状況がそのままにされてるんですから。(「悪人正機」(新潮文庫)P142)
いかにも、現状の問題点を分かりやすく指摘していますね。さらに吉本氏は、「もし核戦争が起こったら・・・という考え方がダメ!」だといいます。核兵器をもつことはあっても、現実問題として行使される可能性は小さいという前提で議論すべきだというのです。例外的な状況を根拠にして何かを考えるのは妥当ではないとする意見には賛同する部分もありますが、いかんせん相手があっての話なので一概にそうとは言い切れない気もします。

そもそも1970年に発効したNPTは、核兵器保有国を米・ロ・英・仏・中の5カ国より増やさないため、非保有国の核兵器製造、取得を禁止する代わりに、原子力の平和利用は認め、保有国には核軍縮を求める条約です。「国連改革」(集英社新書)の著者である吉田康彦氏にいわせれば、NPTは現存する最大の不平等条約だといいます。歴史的経緯のなかで国際的合意に至ったNPTであれ、自国の利益だけを優先して、脱退宣言してみたり、条約の批准を拒否する国もあることを考えれば、現状の枠組みのまま議論していたのでは一向に埒が開かないのではないでしょうか。

前述の吉田氏の著書には、日本語で「核」といえば軍事利用、「原子力」といえば平和利用をさしますが、英語ではどちらもnuclearであり両者は同じものだという一節がありました。ある意味で目からウロコが落ちたような気がします。核兵器を廃絶しても「核物質」は地球上に残り、「原子力」は続くのだという事実を厳粛に受け止めるところから、核拡散防止条約(NPT)の再検討が必要ではないかと感じます。吉田氏のいわれるように、「パンドラの箱」を開けてしまった人類は手を携えながら、飛び出してきた中身と共存するほかないのですから。
具体的に日本がとるべき行動として、非核三原則(持たず、作らず、持ち込ませず)を法制化することと、それを国内のみならず朝鮮半島とモンゴルに広げ、北東アジア非核地帯の構築をめざして外交努力することを主張されています。
核先進国でありながら核兵器はもたないわが国には、是非ともそのような国際的役割を果たしてほしいと思いました。

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