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「ありのままの自分」とは

週間SPA!の中吊り広告にあったキーワードが目にとまりました。
それは、
「ありのままの自分でいたい」症候群
という言葉です。
帰りに、本屋さんでSPAをちらっと眺めただけですが、この症候群の原因は、自由過ぎる世の中にあるのだという精神科医の分析が面白いと思いました。

わたしたちは、自分の思うとおりにいかないと、その原因を他人に責任転嫁しようとします。そして、「今の自分は本当の自分ではないのだ」という言い訳により自己弁護をします。その結果、自分を偽っているという葛藤に悩んでしまうのだといいます。

自分の思うとおりに行動できる自由があるからこそ、「ありのままの自分は・・・」などと考えるのであり、たしかに、厳しい規律や経済状況に囲まれて生活していたら、そんなことを考える余裕など生まれないでしょう。
逆説的な分析ですが、なるほど!と思った部分もありました。

しかし、
真の意味で「ありのままの自分」を受け容れることは、カール・ロジャースも言っているように、そんなに簡単な話ではないような気がします。彼は、人が変わるということは、「自分を変えるのではなく、あるがままの自分を受け入れることだ」とさえいっています。

陽明学の基本思想は「心即理」であり、自分の心に素直に行動することが理に適っているという考え方です。ここには人の心は自然のままで正しい(良知)という前提があります。

「ありのままの自分」を良心として、あるいは性善説によってとらえる点で、カール・ロジャースと心即理の考え方は、似ているなあと感じるのですが、いずれも一歩履き違えれば「自己チュー」になりかねない危うさも感じます。そういった意味で、SPAの特集で組まれた些細なことで否定される「ありのままの自分」とは、自由な社会が生み出した単なる「わがまま」にすぎないのではないかという気もします。

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